「考えるヒント」その4 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「元禄時代は、家康の望んだ政治的秩序の完成した時代であり、武家を本位とする階級制度と世襲主義の尊重により、社会の権力関係が固定した時代だ。内憂も外患もない泰平の期に、文化の華が競い開いた。徳川期を通じ、文化の諸領域から抜群の人を選ぶと、ほとんどこの辺りに集中してくる。たしかに元禄は、徳川文化の頂点を示すのだが、頂点には頂点の危うさという風なものがある。元禄文化には、何か危うきに遊ぶようなものが見える。周知のように、文芸の世界では、近松、西鶴、芭蕉の三人が、この時代に現れてしまうと、極端に言えば、後はもう何もない。三人が登りつめた頂上の向こう側は、本当を言えば、断崖絶壁であって、後人達は、まさか身を投げるわけにはいかないから、そろりそろりと下ってみただけだ。そういう気味合いのものが、三人の作にある。近松の詠嘆にも、西鶴の観察にも、芭蕉の静観には、自分の活力の限りを尽くして進み、もはやこれまで、といった性質があり、これは円熟完成というより、徹底性の魅力である。学問の世界で三人と言えば、契沖、仁斎、徂徠だろうが、素人の推測から言えば、やはり儒学も仁斎、徂徠が歩いた先は絶壁なのである。二人ともできるだけ事物の即して物を考えたが、自力の極まるところ、絶対的な信仰への道を貫いてしまった。和学の発達は、契沖以後と見られるが、宣長にも、契沖のような徹底した純潔は、もはや見られないのである。」


 小林なりの整理の仕方。頂上の先は絶壁とは面白いたとえ。