「考えるヒント」その3 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「ヒットラアの『我が闘争』が紹介されたのはもう20年も前だ。私は強い印象を受けて、早速短評を書いたことがある。今でも、その時言いたかった言葉は覚えている。『この驚くべき独断の書から、よく感じられるものは一種の邪悪な天才だ。ナチズムとは組織や制度ではない。むしろ燃え上がる欲望だ。その中核はヒットラアという人物の憎悪にある』。私は、嗅いだだけであった。以来、この人物に関して無智でいた。先年、アラン・バロックの『アドルフ・ヒットラー』が出版された。私は往年の嗅覚を確かめる為に、沢山の事を学ばねばならなかった。もう一年以上にもなるが、いまだ下巻が出版されないのはどうしたわけか。残念なことだ。これは名著であるから、やはり売行きが思わしくなかったのであろうか」


「3年間のルンペン収容所の生活で、周囲の獣物達から、不機嫌な変わり者として、うとんぜられながら、彼(ヒットラー)が体得したのは、獣物とは何をおいても先ず自分自身だという事だ。これは根底的な事実だ。それより先に行きようはない。よし、それならば、一番下劣なものの頭目になってみせる。興奮性と内向性とは、彼の持って生まれた性質であった。彼のいわゆる収容所という道場で鍛え上げられたものは、いわば絶望の力であった。無方針な濫読癖で、空想の種には困らなかった。彼が最も嫌ったものは、勤労と定職である。当時の一証人の語るところによれば、彼は、やがてまた戦争が起こるのに、職なぞ馬鹿げているといっていた。出征して、毒ガスで眼をやられたとき、恐らく彼の憎悪は完成した。勿論、一生の方針が定まってからは、彼は本当のことは喋らなかった。私も諸君と同じように、一労働者として生活してきたし、一兵卒として戦ってきた、これが彼の演説のお題目であった。」


「もしドストエフスキーが、今日、ヒットラアをモデルとして『悪霊』を書いたとしたら、と私は想像してみる。彼の根本の考えに揺るぎがあろう筈はあるまい。やはり、レギオンを離れた豚の中に這入った、あの悪魔の物語で小説を始めたであろう。そして、彼はこう言うであろうと想像する。悪魔を、矛盾した経済機構の産物だとか一種の精神障害だとかと考えて済ませたい人は、済ませているがよかろう。しかし、正真正銘の悪魔を信じている私が侮る事は良くない事だ。悪魔が信じられないような人に、どうしてて天使を信ずる力があろう。諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、『わが闘争』に怪しげな逆説を読んでいる。福音書が、怪しげな逆説の蒐集としか写らぬのも無理のない事である、と。」


 『考えるヒント』とは、編集者がつけた題であるとのこと。考えるヒントくらいは書いてあるだろうという程度の意味だそうだ。本文は、『ヒットラアと悪魔』からの抜粋