「隷属への道」その3 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「社会計画がめざしている単一の目的体系の達成に向けて、全ての人々を奉仕させる最も有効な方法は、その体系に含まれた諸目的を心から信奉させてしまうことである。全体主義体制を効率に運行するためには、人々を強制的に同一の目的のために働かせるだけでは十分ではない。人々に、それらの目的が自分自身の目的でもある、と考えさせることが不可欠である。全体主義体制を支える様々な信念は、計画当局によって選定され、人々に強制されなければならないのだが、それだけでは不十分で、こうして選定された信念は、人々自身の信念そのもの、言い換えると普遍的に受け入れられた信条とならなければならず、それによって初めて、全ての個人をできる限り自発的に、計画当局が欲するように行動させることが可能となる。もし現在の全体主義国家の中で人々が感じている抑圧感が、自由主義国家の大半の人々が想像するよりも一般にそれほど切実でないというようなことがあるなら、それは、全体主義政府が人々に自らの意向どおり考えさせることに、高度な成功を収めているからだと考えられよう。」


「あらゆる人間的な活動を弾劾することも、全体主義の全精神と完全に合致しているとされる。『科学のための科学』とか『芸術のための芸術』といったことは、ナチス主義者たちにとっても、自由社会にあって社会主義を信奉しているインテリたちにとても、また共産主義者たちにとっても、等しく忌み嫌うべきこととなっている。全体主義者たちに従えば、人間のあらゆる活動は、それがどのような社会的目的を意図しているかを根拠として正当化されなければならない、という。全体主義社会には、人々による自発的で、当局によって誘導されていないどんな活動も存在してはならない、とされる。というのも、そのような活動は、前もって予見できない結果や、もともとの計画が対策を準備していない結果を、発生させる可能性があるからだ。」


「本来『真実』とは、発見されるべきものであり、そこでは、証拠(あるいは主張している人々の資格)が一切の状況的条件にかかわりなく命題の正しさを証明するかどうかは、個々人が自らの良識によってのみ審判するものであった。ところが全体主義社会では、『真実』は、そのようなものではなくなる。『何が真実か』は、計画当局者によって決定されるべき対象であり、社会の組織的活動を統一するのに役立たせるため、人々に信じ込ませなければならない事柄となる。」


 戦前の日本、現在の北朝鮮を髣髴とさせる。