続「隷属への道」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「今日の世代が忘れ去ってしまっていることは、私有財産制は、財産を所有するものだけでなく、それをもたぬ者にとっても、最も重要な自由の保障であるということである。つまり、生産手段の管理が独立活動をする多数の人々に分割されているからこそ、だれも人々の運命を左右する完全な権力をもちえないし、人々はそれぞれ自分がどうやっていくかを決定することができる。もしあらゆる生産手段が一つの手に委ねられるとするならば―それが「社会」全体といった名目であろうが、あるいは独裁者であろうがー、その管理権を行使するものは、人々に対して完全な権力をふるうことになろう。」


「マックス・イーストマン、昔からの共産主義者が、最近の論文でこう書いている。〈今や、私にとって次のことは明らかだと思えるーもっともこの結論に達するのはずいぶん遅まきであったと言わねばならぬがー。すなわち、マルクスは私有財産制を廃止することによって無限の自由と平等を与えられるという希望をもってのであるが、その自由と平等とを、限られた量にせよ人類に与えてきた主要な源泉の一つこそ、私有財産制なのだ。不思議なことに、それを初めて理解したのはマルクスだったのである。マルクスこそが、過去の歴史を顧みて、自由市場をもった私的所有による資本主義の発展が、これまでのあらゆる民主主義的自由の発展にとっての前提条件であったのだと、我々に教えてくれたのであった。しかし、歴史の将来を展望した時、そうであればこそ、自由市場を廃止すれば他の自由も消えてしまうのだろう、という考えは、彼の心にはまったく浮かばなかったのである。」


「ベンジャミン・フランクリンが、一国民としてだけでなく一個人としてのわれわれの人生にも十分にあてはまる表現で述べたあの信念を、あらためて自分のものとしなければならない。それは次のようなものであった。『ほんのしばらくの安全を手に入れるために、本質的で不可欠な自由を放棄してしまう人々は、自由も安全も持つ資格がない。』」


 翻訳本独特の分かりにくさはあるものの、自分なりに解釈して読めばわかる。