「隷属への道」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「私は、1950年に渡米し、シカゴ大学大学院に留学した。その間『シカゴ学派』が米国の経済界においてゆるぎない地位を確保していく様子をフランク・H・ナイト、ミルトン・フリードマン、ジョージ・J・スティグラー等から懇切に教えてもらった。」


「ナイトは、次のように説明してくれた。『マルクス経済学もその一つだが、単純素朴な頭だと経済現象の全体を外からだけ眺めてあれこれと論じるが、それでは真に学術的な経済学になっていないのだよ。君はマルクス経済学の批判して個人について学ぶことの重要性を説いたね。これこそが経済学の樹立に当たって、最も重要な点なのだよ。つまり、経済現象は個人が経済活動の面において相互に反応しあいもつれあうことの中から発生するのであって、この点を見失えば経済学は極めて簡単な学問になってしまう。もちろん、個人の多くは生産の側で働く人もいるだろうが、例外なしに消費者であり、また多数の個人が金銭や信用の借り手だが、多くが預金者でもある。このように個人が相互にさまざまな形で関係しあうことによって、経済現象が発生してくる。ここでの相互関係は実に複雑だ。この複雑さは、経済現象から除去できない。時間の問題を取り込めば、さらに増大する。その複雑さにめげず、忍耐強く分析を進めれば、そこにさまざまな規則性に気付くのだよ」


「しかしすべての規則性が望ましいとは限らない。〈市場万能主義〉という言葉がある。この表現は、公的資金の注入が必要といったマクロ主義者が、かかしがわりにこしらえた表現であって、ミクロ経済を分析する信頼に足りる経済学者は、だれ一人としてこんな主張をしていない。市場が重要なのは、およそ生きている人であれば万人が市場に関係し、それそれなりの知恵や体力を使って活動しているから、およそ心ある経済学者であれば、市場を導き市場に影響を及ぼす政策を考えるにあたっては、これが市場の働きを助長する政策であって、市場を歪めることがないように、くれぐれも注意するのだ。』」


 本書の訳者西山千明による「あとがき」からの抜粋である。

西山千明とは
wikipediaによると、「シカゴ大学ではハイエク 門下に入り、ミルトン・フリードマン らと自由主義 経済哲学、貨幣理論を学んだ。はやくから「シカゴ学派 (経済学) 」の自由主義経済哲学や、「マネタリズム 」を日本に紹介し、『ハイエク全集』や、フリードマンの『選択の自由 』の日本語訳を手掛けるなど、自由主義哲学、「新自由主義 」の思想の普及・拡大に大きな貢献を行った。」とある。