池田晶子「新・考えるヒント」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「考えるとは、合理的に考えることだ。どうしてそんな馬鹿げたことが言いたいのかというと、現代の合理主義的風潮に乗じて、ものを考える人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考えることが、合理的に考えることだと思い違いしているように思われるからだ。当人は考えているつもりだが、実は考える手間を省いている。そんな光景が至るところに見える。ものを考えるとは、ものをつかんだら離さぬということだ。画家がモデルをつかんだら得心のいくまで離さぬというのと同じことだ。だから、考えれば考えるほどわからなくなるというのも、ものを合理的に究めようとする人には、きわめて正常なことである。だが、これは、能率的に考えている人には異常なことだろう。」


「やはり数年前、『なぜ人を殺すのは悪いか』という問いが、これを巷では珍しく真剣に議論されていたようである。これは大変良い傾向だと思う。そんなことを問うものではない、問うてはいけないと苦言を呈した人もいると聞くが、これはおそらく見当違いである。おそらくその人は、この問いを、居直りでなければ一種の遊びとして捉えたのだろうが、この問いの出処はそうではない。このような純粋かつ根源的な問いというものが存在すると知る、そしてそれと真正面から取り組むという経験を、人は一度は経ておくべきだ。この問いと真剣に取り組んだ人は、考えれば考えるほどわからなくなるという、あの経験を得たはずだ。それは貴重な経験だ。善悪の問題ほど、人にとって根源的かつ謎であるものはないからである。」


 前段のゴチックは、小林秀雄の「考えるヒント」からの引用、後段は、これに続く池田の考え。