「小林秀雄の哲学」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「ベルグソンの処女作は、『意識の直接与件に関する試論』で、後に『時間と自由』という題名で英訳をされた。これについて小林は次のように述べている。〈人生の解決を一哲学の著作に求めるというようなことは愚かであろうが、この本が、最上の楽しみを与えてくれる事は確実である。これには諸君の感情に訴える様なものは少しもない。ただ物を正しく見て、正しく考えるとはどういう具合な事かを教える稀有な本であって、そのことが、諸君の裡に、一種痛切な感情をひき起こすであろう〉」


「私は、アメリカの大学と大学院に進学して、およそ7年間ミシガン州の大学街で過ごした。数学科と哲学科に籍を置いていたので、周囲にいる学生の気質も理系と文系で正反対である。体力的にも文化的にも異質なアメリカ人と毎日にように英語でディスカッションしなければならず、大いに知的刺激を与えられる一方で、目前の試験や論文に追われる苦難の日々が続いた。そのような状況の中で、日本から持参した『新訂小林秀雄全集』をボロボロになるまで読みこむことで、どれだけ救われたことか、筆舌に尽くしがたい。」


「小林秀雄の全集には、一個の完結した『小林秀雄の世界』がある。現実世界で何が起ころうと、小林秀雄の文章を読み始めると、小林の世界に入って浮世を忘れることができるのである。しかも、その文章は適度に難解で、ある程度集中して読まなければ文章が見えなくなるので、雑念が払われる仕組みになっている。小林の読者が〈思索〉を放棄して、彼の世界に組み込まれざるをえない筋書きは、すでに本書で何度も指摘したとおりである。」


 非常に単純化された話であるが、小林の哲学に対する批判として、中野重治の「反論理」、加藤周一の「無責任」、梅原猛の「学問ではない」という指摘を、高橋はしている。いずれも小林は、「それで結構だ」と答えるはずであろうともいう。