「小林秀雄の哲学」から | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「私は、武蔵という人を、実用主義というものを徹底的に思索した、おそらく日本で最初の人だとさえ思っている。少なくとも、彼の名が、軍国主義や精神主義のうちに語られたとき、私は、笑わずに入られなかった。兵法家が、夢想神伝に仮託して流儀を説く事は、当時普通のことで誰も怪しまなかった。また、沢庵の様な、禅を以って剣を説く坊さんがいた様な時代で、見識ある兵法家は、奥義秘伝の表現に、禅家の語法を借りるのも、一般の風であった。武蔵には、禅も修した形跡があるが、そういう風潮からは超脱していた。自分の流儀には、表も裏もない。『色をかざり花をさかせる』様なことは一切必要ない。ただ『利方の思ひ』というものを極めればよい。そういう考えから、当時としては、恐らく全く異例な、兵法に関する実際的な簡明な九箇条の方法論が生まれたのであるが、その中に『諸識の道を知ること』という一条がある。又『諸芸にさはる事』という一条がある。『道の器用』は剣術に限らない。諸識の道にそれぞれ独特の器用がある。器用という観念の広がりは目で見えるが、この観念の深さ、様々な異質の器用の底に隠れた関連は、諸芸にさわる事によって悟らねばならぬ。・・・今日残っている彼の画が彼のさわった諸芸の一端を証しているのは言うまでもないが、これは本格の一流の絵であって、達人の余技というような性質のものではない。」


「小林秀雄の『私の人生観』からの抜粋である。原文は長いエッセイで、『人生観』とは何かということから話が始まり、『観』という言葉に対する『日本人独特の語感』から仏教の『止観』、西行の『観法』やベルグソンの『直感』に話が広がり、最後に宮本武蔵の『実の道』が登場する。」



 宮本武蔵には「枯木鳴鵙図」という水墨画がある。

「私の人生観」は、終戦から3年が過ぎた1948年に行った講演の記録に小林が加筆修正をおこなったもとであるという。