小林秀雄「学生との対話」から | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「小林秀雄は、ドストエフスキーならドストエフスキーの、その生き方に自分を写し、そこから自分の生き方のイメージを得ようとしたのです。ドストエフスキーが、ドストエフスキーとして生まれ、ドストエフスキーとして生きてきた『確固たる性格、実体』にまずは無心で向き合う、するとその『確固たる性格、実体』に、共鳴したり惑乱したりする自分がいる。それは今まで、自分自身でさえ知らなかった自分である。そうか、自分はこういう人間か・・・・・、この人に対する発見の驚きが、いかに生きるべきかを考える最初の糸口になる、目の前の他人を貶したり咎めたりしたのではそこに自分は写らない、写ったとしてもそれはすでにわかりきった、手垢にまみれた自分である、いかに生きるべきかを創造的に考えようとすれば、他人をほめることから始める、ほめるといっても追従を言ったり機嫌をとったりするのではない、その人をその人たらしめている個性を見ぬき、その個性を徹底的に尊敬するのである、そうしてこそ自分はどう生きていけばよいのかしっかりしたイメージが返ってくる、そういう確信が、いつしかおのずと小林秀雄に育ったのです。」


 小林の編集者池田雅延の「問うことと答えること」から抜粋