小林秀雄「文学の雑感」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「本居宣長の歌に『敷島の大和心を人問わば朝日に匂ふ山桜花』がある」


「大和心もむずかしい言葉です。江戸の日常語ではなかったのです。大和心という言葉は平安期の言葉なのです。『大和魂』という言葉もやはりそうで、平安朝の文学に始めた出て来て、それ以後なくなってしまった言葉なのです。大和魂という言葉が文学の上で一番先に出てくるのは『源氏物語』で、それ以前Iはありません。」


「源氏の息子の夕霧が大学に入ります。あの頃は大臣の息子なら、大学などへ入らなくても、出世は決まっていた。だから、大学へなど入らなくてもよいという反対も随分あった。そのとき源氏が「才(ざえ)を本(もと)としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も、強う侍るらめ」と言うのです。『才』とは学問ということです。大和魂をこの世でよく働かせる為には、やはり根底に学問がある方がよろしかろうというのです。『大和魂』と『才』とは対立するのです。大和魂とは学問ではなく、もっと生活的な知恵を言うのです。」


「今日の言葉でいうと、生きた知恵、常識を持つことが、大和魂があるということなのです。」


 学生を対象にした講演での話である。