続々「黙示録」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「フランシス・コッポラの『地獄の黙示録』である。原題は、「アポカリブス・ナウ」、つまり「現代の黙示録」である。1979年に封切られて以来、そして2002年にコッポラ自身の再編集になる特別完全版が公開されてからも、この映画については多くのインクが流されてきた。」


「主人公の一人カーツ大佐の愛読書として画面に大きく映し出される二冊の本も示唆的である。ひとつは、イギリスの中世文学研究者ジェシー・ウェストンの『祭祀からのロマンス』であり、もう一つは、人類学と神話学の泰斗ジェームズ・フレイザーの大著『金枝篇』」の簡略版である。前者は、聖杯伝説のルーツと影響を解き明かしたことで、後者は、『王殺し』の神話的原型を再構成したみせたことで知られる。」


「カメラがゆっくりとこの二冊の本を追っていくシーンにはさらに二冊の本が映し出されている。こちらは立てかけてあって背表紙だけがうっすらと陰に沈んでいるので、ことによると見過ごしてしまうかもしれない。ゲーテと聖書である。ゲーテの背表紙にはタイトルがついていないが、おそらくは聖書と契約した物語『ファウスト』だろう。一方、聖書はもちろん黙示録文学の原点である。」


「この映画は黙示録のテーマとイメージに溢れている。まずもって、さまざまな神話の寄せ集めである点で、その手法自体が黙示録的である。さらにこの映画は完全に男中心の世界を描き出す。女の登場はかろうじて二回。これも『黙示録』と重なる。一つは、大型ヘリコプターに乗ってベトナムのアメリカ軍の慰安にやってくるプレイボーイのバニーガールたち、彼女たちはいわば『バビロンの大淫婦』であり、ヘリコプターが現代版の『獣』である。もう一つは、フランス人が経営するプランテーションでウィラードが出会う美しい未亡人。夫を戦場で失った彼女は、ウィラードに、『人を殺すあなたと人を愛するあなた』の両方があなたなのだと、ささやくように告げる。人間は『獣であり神でもある。』それが彼女の答えだ。」


「最後に私は、一つの仮説を提示しておきたい。すなわちこの映画は、キリストのウィラードとアンチキリストとしてのカーブの、二人の対決としてとらえることができるのではないか、と。」


 DVDをみる必要あり