「神とゴッドはどう違うか」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「ノン・アイデンティテイ文化圏に属する日本では、聖書で言う被造界だけが全世界です。そこで、ものの上下観(価値観)も、この中だけで考えられることになる。通常それは、「世の中」を「精神的なもの」対「物質的なもの」という二つに分けて、前者を上位におくというかたちになる。」


「有・アイデンティティ文化圏では、絵画、音楽、文芸や科学は、人間レベルの「世のもの」にすぎない。永遠の「天のもの」に比べれば、いずれも消滅してしまう二義的なものである。こんな世界のものがそう深淵であるわけがない。畏れ拝するべきは、創造者の世界たる「天」のものだけだ。知恵もそうである。人間が自力で考えることなど、たかが知れているのであって、同じ人間に簡単にわからぬはずはない、というスタンスである。」


「聖書の窓から眺めてみれば、三島由紀夫が何をしようとしたかは絵のように浮かび上がってくる。日本を「永続者アリ」観の国家に転換すること ―― 一言でいえばこれです。永遠なるものが存在するという観念 ―― それがあることによって、社会も人も崇高な目的を抱くことができる。それはただ「永遠者」などといった抽象的な観念だけではなく、それを体現する具体的な概念を含むことによってはじめて効き目が現れる。それを作って、日本人に提供してあげたい・・・・彼はそう切望した。」


  昭和天皇が人間宣言をされたことを歎いて「などかすめろぎは人となりたまひき」という

三島の発言を思い出す。