丸山真男「軍国支配者の精神形態」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「あなたは1931年昭和6年の3月事件に反対し、あなたはまた満州事件の勃発を阻止しようとし、またさらにあなたは中国における日本の冒険に反対し、さらにあなたは三国同盟にも反対し、またあなたは米国に対する戦争に突入せることに反対を表し、さらにあなたが首相であったときにシナ事件の解決に努めた。けれども・・・すべてにおいてあなたの努力は見事に粉砕されて、かつあなたの思想及びあなたの希望が実現されることを阻まれてしまったということを述べておりますけれども、もしもあなたが本当に良心的にこれらの事件、これらの政策というものに不同意であり、そして実際にこれらに対して反対をしておったならば、なぜにあなたは次から次へと政府部内において重要な地位を占めることをあなた自身受け入れ、そうして・・・・自分では一生懸命に反対したと言っておられるところの、これらの非常に重要な事項の指導者の一人と自らなってしまったのでしょうか」


そうしてこれに対する小磯の答えは例のごとく、「われわれ日本人の生き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまして、国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するというのが我々に課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる生き方であります」というのであった。


「右のような事例を通じて結論されることは、ここで「現実」というものは常に作り出されつつあるものあるいは作り出されいくものと考えられないで、作り出されてしまったこと、いな、さらにはっきり言えばどこからか起こってきたものと考えられていることである。」


 東京裁判におけるフィクセル検察官と小磯被告との口述書の引用と、それに対する丸山のコメントである。ウォルフレンの「日本の権力構造の謎」という本のなかで、とらえどころのない国家と評していたが戦前も戦後も変わることなく続いているということか。だれも責任をとらない国。