小林秀雄「学生との対話」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「歴史を学ぶことは、自己を見つめることになるとおっしゃいましたが、どのような意味か」


「君が自分を知りたい時も、直接には君自身を知ることはできないのです。直接自分を知るなんて、そんなのは空想ではないか。自己反省などというが、そのとき君自身はどこにいるのか。君自身を反省するとは、君の子供の時のことを考えることだ。子供の自分は他人ですよ、歴史的事実ですよ。それは君の歴史かもしれないけれども、現在の君ではない。もう過ぎ去った歴史的事件です。だから、君の子供時代を振り返ると、君のことがわかってくる。」


「では、織田信長を振り返ってみたまえ。織田信長という人間の性格は、「信長公記」という本を読めば、理解できる。君が読み終わって「ああ、信長ってやつは、こんなやつか」と思ったのなら、「俺は信長ってやつに興味を抱いているな」とわかる。あるいは、嫌なやつだなと思うかもしれない。すると、「信長を嫌うものが自分の中にあるな」と分かります。それこそ君、自分を知ることでないか。」


「歴史には、こんなにたくさんの人間がいて、偉い人、莫迦なやつ、いろいろいますよ。それを読むことは楽しいし、君の知識を豊富にする。それは、君の精神が豊富になることだ。自己を知るということは、君の精神を豊富にすることであって、別に自分が取るに足らない男だなどと知ることではない。歴史を知ることは自己を知ることだというのはそういう意味です。」


 新潮45から抜粋