「近代日本人の宗教意識」から | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「私は宮沢賢治のことを『科学者』といったけれども、もちろん彼は科学者の道を職業として選んだ人間ではなかった。彼はそもそも尋常一様な科学者ではなかった。科学者でありつつ科学者であることを超えようとした人間だった。賢治の晩年の手帳に、『雨ニモマケズ』の詩が書きつけられていたことはよく知られているが、そのある一頁に『法華経入門ニ際シ 高等数学ニオケル解釈ノ可否』という一文が書きつけられている。この最後の手帳を精細に検討した小倉豊文によると、賢治は1932(昭和7)から病床で高等数学の研究をはじめ、その蔵書の中に『高等数学講座』(弘道館)が入っていたという。死を目前にした時期に、ある情熱に迫られるようにして法華経と数学を結びつきようとしていたことがわかるであろう。」


 本論とはあまり関係がないがちょっと気になってのでメモをした。