山折哲雄「近代日本人の宗教意識」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「われわれの『無神論』はたんなる漠然としたる無神論であって、たとえば西欧近代が生みだしたような確信的な無神論などではどうもなさそうだ、という反省が喉元をつきあげてくる。なぜならドストエフスキーやニイチェがやったような『神殺し」を、われわれは必ずしもやってはいなかったように思えてくるからである。われわれが思い描いている無神論というのはたんなる宗教的な無関心といったものであって、自覚的な神殺しや仏殺しを経たあとに生みだされたラジカルな無神論ではないのではないだろうか。」


「私は寺田寅彦のいう『天然の無常』の中に、日本人の漠然とした『無神論的な心情』とも分かちがたい感覚がわき出ているのだろうと思う。日本人のあいまいな無神論の秘密を解く鍵がかくされているのではないかと思う。日本人の無神論には神の存在を積極的に否定するような性格のものではない。神がいるかいないか分からない(不可知)と考えるよりは、神の存在を感ずることができるかどうかが重要なキメ手になるのであって、このような無神論は、神はどうやら存在していないらしいと感ずるところに特色があるといってもいいのである。」


 「神殺し」とは何か?