「小林秀雄は、歴史はつまるところ「思い出」だという考えをしばしば述べている。それは直接には歴史的発展という考え方に対する一貫した拒否の態度と結びついているが、少なくとも日本の、また日本人の精神生活における思想の「継起」のパターンに関するかぎり、彼の命題はある核心をついている。新たなもの、本来異質的なものまでが過去と十全な対決なしに次々と摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍らに押しやられ、あるいはすぐ下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。」
「特に明治以降ドンランな知的好奇心と頭の回転のすばやさ――それはたしかに世界第一級であり日本の急速な「躍進」の一つのカギでもあったが――で外国文化を吸収してきた「伝統」によって、現代の知識層には、少なくとも思想に関するかぎり、「知られざるもの」への感覚がほとんどなくなったように見える。最初は好奇心を示しても、すぐ「あゝあれか」ということになってしまう。過敏症と不感症が逆説的に結合するのである。たとえば西洋やアメリカの知的世界で、今日でも民主主義の基本理念とか、民主主義の基礎づけとかほとんど何百年以来のテーマが繰りかえし「問われ」、真正面から論議されている状況は、戦後数年で「民主主義」が「もうわかっているよ」という雰囲気であしらわれる日本と、驚くべき対象をなしている。」
昭和30年代前半に書かれた書物である。熱しやすく冷めやすい国民性は変わっていない。