「音楽の対話」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「とにかくドイツ的なるものが世界的であるっていう分野は音楽しかない。文化をもって、ある国、ある民族のアイデンティティにしたいと思ったら、ドイツはやはり『音楽』です。それに、今、ぼくたちの聴いている音楽、少なくともこの300年余り音楽の代名詞になっている西欧クラシック音楽の主流はなんといっても18,9世紀のドイツ音楽、正確に言えば、ドイツ語圏の音楽ですからね。バッハからモーツァルト、ベートーヴェンを経て、マーラー、リヒャルト・シュトラウスに至るまで、この人たちの存在を抜きにして音楽が語れますか、クラッシク音楽というジャンルが存在しえますか。」


「フルトヴェングラーは、繰り返すようだけど、骨の髄までドイツ人ですからね。ドイツという国の存在理由は『文化』だ―これはどの国にとっても同じです―、ドイツの文化は『音楽』だ、具体的に言えば、バッハの時代に源流を持つ『ドイツ音楽』だ、その歴史と伝統を守り、今の世紀に受け継ぎ、次の世代に伝えようとしているのは自分と、自らの分身であるベルリン・フィルなんだという意識が実に強烈だった。その自分とベルリン・フィルの音楽を正しく受け止め、理解し、共感してくれるのは『ドイツの聴衆』しかないと。」


 薀蓄の一つかな。