小林秀雄「直感を磨くもの」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「外国には、美術史を読むと文化変遷が実によくわかるという風なものが多いようですが、日本にはない。若い人に聞かれると、やはりフェノロサの美術史を進めるよりほかはないのです。僕は美術なんていうものに興味を持ってから国文学を読む読み方が非常に違ってきました。」


「藤原行成という人の全人格とは字で表現されているという事であれば、もうそれは我々には大変難しい問題になります。要するに書道というものの文化史的な価値というものがわからなくなってきたことは、文学の鑑賞の上でも大変違ったことになるでしょう。『古今集』の詩人は字の美しさと歌の美しさと恋愛行為と皆一緒にして歌というものを考えていた。今では岩波文庫で『古今集』を読みます。全然違ったものを読んでおることになる…。」


「文学も美術も時代の日常生活の裡に溶け込んでいる。その溶け込んでいるところに直覚するという事が大事だと思うのです。そういう直覚を養う労を取らず、ある時代の文学的観念、美的観念を作り上げてしまうという傾向が非常の多いのではありますまいか。例えば、昔の人にとって瀬戸物の美しさとは、それを日常生活で使用することの中にあった。利休の美学は、そこから生まれております。現代では瀬戸物の美しさは硝子越しに眺めている。瀬戸物の美しさが観念だけのものとなってしまっていることに、気がついていないのです。茶器屋さんは、これを鑑賞陶器と皮肉っています。」


折口信夫との対談の中で小林が述べていたこと。