デカルト「方法序説」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「私は子供のころから文字による学問(人文学)で養われてきた。そして、それによって人生に有益なすべてのことについて明晰で確実な知識を獲得できると説き聞かされていた。しかし、まったく意見を変えてしまった。多くの疑いと誤りに悩まされている自分に気がつき、勉学に努めながらもますます自分の無知を知らされたという以外、何も得ることができなかったように思えたからだ。」


「人文学を全く放棄してしまった。これからは、私自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心し、青春の残りを使って次のことをした。旅をし、あちこちの宮廷や軍隊を見、気質や身分の異なる様々な人たちと交わり、様々な経験を積み、運命の巡り合わせる機会をとらえて自分に試練を課し、いたるところで目の前に現れる事柄について反省を加え、そこから何らかの利点を引きだすことだと。」


「次のことに気がついた。このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして『わたしは考える、故に私は存在する』というこの原理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。」


 小林秀雄の「常識について」を読んでいたら、デカルトの「方法序説」についての評論であった。原典を読んでみた。「方法序説」って、こんなこと書いてあったのかといった感じである。