小林秀雄「教養ということ(対談)」 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

小林秀雄 「今の教育は暗誦させないですね。ものごとを姿のほうから教えるということをしない。『万葉集』なら『万葉集』を、解説や周辺の知識を持ちこんでしまって、感覚的に読むことをしない。それから古典の現代訳を非常に無神経にやることなんかも間違いの根本ですね。姿があるのは造形美術だけではない。言葉による姿がある。日本人なら必ず日本の言葉についての姿の感覚があるはずです。その感覚を浮かび上がらせるのが教育ですよ。いま唯物論なんていっているけれども、唯物論なら人間の感覚や感受性を考えなきゃいけない。人間の肉体、人間の生理をおろそかにしちゃいけない。芸術は生理ではないが、そこにくっついている。そこを教えなくてはいけない。昔は内容はわからなくでも五十首暗誦しなければ卒業できないといった仕方で教えこんだ。じつに愚劣な教育と思っているんでしょうが、実はそうじゃないのですね。」


田中美知太郎 「外国でも暗誦が基礎じゃないですか。私の教わったドイツ人はむやみに暗記させた。ゲーテの長い詩を覚えてこいという。試験が終わるとケロリと忘れてしまうけれど、やはりあれが本当じゃないかと思いますね。読書百遍という素読が肝心ですね。そのうちに意義おのずから通ずる人はそれでよいわけで、わからなくてもいいわけですね。解説なんかはかえって邪魔になる。」


 漢詩や和歌のフレーズがふと思い浮かぶことはない。