「男の詩と女の詩とはどこかが違う」
「男の詩は、『わたし』という語り手が自分自身の輪郭線をきびしくさだめるところからはじまる。『世界』と『じぶん』との境界線はいつも明確で、どちらがどちらを侵犯することもない。『世界』はつねに『対象』としてとらえられている。」
「女の詩は、『わたし』の輪郭線がはっきりしない。『世界』のなかに『自分』が溶けこんで、境界がぼやけている。世界の一部は自分であり、自分の一部は世界に流れ出ている。他者は自分であり、自分は他者である。そんな独特のゆるさが、女の詩にはある。」
「女は産声をあげたそのときに、すでに体内に卵子という『他者の芽』
を一生ぶん用意している。男が自分の精子に他者性を実感することはないし、それは肉体からの離脱物にすぎない」
「近代的西洋的な自我というものは、男の発想によるものだろう。そして、人間がめいめいに、『唯一不変の自分という絶対価値』をもってぶつかりあう世界に限界がきたとしたら、それをのりこえる新しい世界像と自分像を示すことができるのは、女である。」