再び『聖書物語』から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「三位一体という難解な概念は、聖書を理解するツボである。三位一体を定義すると、『神は、実体(サブスタンティア)において唯一の神でありつつ、父と子と聖霊という三つの位格(ペルソナ)において存在する。』となる。」


「この概念の全貌が明らかになるのは、新約聖書は入ってからである。」


「では、旧約聖書にはこの概念はないのかというと、その萌芽、その暗示はある。例えば、天地創造の記事である。最初の人(アダム)を創造する時、神は次のように語っている。『われわれをかたどり、われわれに似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう』(創世記1・26)

神は唯一である。それにもかかわらず『われわれ』という第一人称複数形が使われている。これを三位一体の暗示と見ることができる。」


 よくわからないが、とりあえず頭の隅において読み進めていく。