三島由紀夫「春の雪」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「御門跡のお話は、昔の唐の世の元暁という男についてだった。名山高岳に仏道をたずね歩くうち、たまたま日がくれて、塚の間に野宿をした。夜中に目をさましたところ、ひどく咽喉が渇いていたので、手をさしのべて、かたわらの穴の中の水を掬んで飲んだ。こんなに清らかで、冷たくて、甘い水はなかった。又寝込んで、朝になって目が覚めた時、あけぼのの光が、夜中に飲んだ水の在処を照らし出した。それは思いがけなくも、髑髏の中にたまった水だったので、元暁は吐気を催して、もどしてしまった。しかしそこで彼が悟ったことは、心が生ずれがすなわち種々の法を生じ、心が滅すればすなわち髑髏不二となり、という真理だった。」



 小室直樹によれば、三島由紀夫は、魂の存在を否定しているという。そして、三島由紀夫ほど、仏教理解が徹底している者はいないという。

三島は、本書の中で、「ミリンダ王の問い」を引用して、仏教の本質を説明している。上記引用文は、ミリンダ王の問いを引用する前段で述べていること。

「豊饒の海」四部作をもう一度読み、仏教理解を深めてみたい。