「私たちが自分のおかれている政治状況を「自然」または「不可避」なものと認めてしまわないのは好ましいことだと私は信じている。自然視する代わりに、権力、義務、服従を伴ういかなる種類の大規模社会構成の真実の性格についても私たちは疑問を発しつづけるべきである。現在の社会構成が人間の精神にとって高くつくならば、それにとって代わる社会構成のもつ可能性を考慮しなくてはならない。言い換えると、人間は集団としてはもとより、個人としても苦心して向上をめざす能力と、向上を妨げる障害物を取り除いてほしいと要求する能力をもっていることを私たちは常に認識する必要がある。その能力が存在しなければ、過去半年間に東ヨーロッパで吹き荒れた改革の嵐は起こらなかったであろう。こういう基本的な事柄が好ましいものであるということで私と同意することができない人は、いくら拙書を読みつづけていただいても、私としてはその人を説得できる見込はとうていないのである。」
「日本の多くの知識人や官僚は、日本の政治機構をつぶさに調べている外国人よりも自分のほうが日本のどの一面についても常によく知っていると思い込んでいる。外国人の書いたことで日本の知識人の気に食わぬことは、何であれ、無知から生まれたものだとひとりでに烙印を押されてしまう。こうした知識人は、まさにこのことが彼ら自身いかに無知であるかを暴露しているということに気づかないのだろうか。チャーマーズ・ジョンソンが日本の通産省のことや、その通産省と郵政省との軋轢や、公益法人の問題など、日本の権力体制の多くの面について書いているが、こうしたことについてのジョンソンの理論的理解は、同じ分野で仕事をしているいかなる日本人学者の知識も容易に及ぶところではない。」
チャーマーズ・ジョンソンは、1982年「通産省と日本の奇跡」という本を、最近では、
フォーリン・アフェアーズ・リポート2012年11月10日号で「中国と日本の相互認識」という論文を書いている。