エイドリアン・フランシス監督、清岡美知子、星野弘、築山実、近藤昭一ほか出演のドキュメンタリー映画『ペーパーシティ 東京大空襲の記憶』。2021年作品。

 

1945年3月10日午前0時過ぎ、アメリカ軍の爆撃機が東京を襲撃し、死者10万人以上、東京の4分の1が焼失する史上最大の空襲となった。その悲劇を生き延びた星野弘さん、清岡美知子さん、築山実さんら3人は長年にわたり、公的な慰霊碑や博物館の建設、市民への補償を求めて活動を続けてきた。日本人から戦争や空襲の記憶が失われつつある今、悲劇の体験を後世に残すため戦ってきた生存者たちの最後の運動を、彼らの悲痛な証言や映像資料を交えながら映し出す。(映画.comより転載)

 

某映画サイトでこの映画のことを知って、その時には監督がオーストラリア出身ということなので、欧米人から見た東京大空襲についてのドキュメンタリーなのかと思っていました。

 

エイドリアン・フランシス監督の母国オーストラリアは戦時中には連合国の一員として日本と戦っていたわけだし、だから民間人を標的にして一夜にして10万人という膨大な数の命を奪った非人道的な行為に対する責任を追及、あるいはそれを正当化するような連合国側の意見も紹介して、その是非について考える、といったような。

 

タイトルの“ペーパーシティ”というのは「紙と木」でできた日本の家々が集まる町のことだし、映画の冒頭では戦時中のアメリカの歌が流れて、その中でトーキョーを燃やしてしまえばジャパンはあっという間に降参する、というような内容の歌詞が唄われる中、空を埋め尽くすようなB29爆撃機から次々と投下される無数の焼夷弾。

 

それらは空中で激しく炸裂して地上を焼き尽くし、夜空に炎が巻き上がり、やがて黒焦げの死体の数々が画面に映し出される。

 

焼夷弾が燃えやすい日本の家屋を焼くために開発されたことを、以前NHKの番組で特集していました。アメリカ軍は日本の非戦闘員である一般市民を殺す気満々だった。

 

ただ、このドキュメンタリー映画ではそのようなアメリカ軍の戦争犯罪の責任を問うのではなくて(やんわりとその残虐性に触れられてはいるが)、あの戦争で幾度となく行なわれた日本中の大都市の大規模爆撃によって身内を殺され自らも身体や心に深い傷を負い、戦後もずっと苦しい生活を余儀なくされながらなんら補償もなく打ち捨てられた当事者である人々が国に謝罪と補償を求める姿を静かに見つめる。

 

 

 

 

フランシス監督がこの映画を作ろうと思ったきっかけは、戦災被害者がこれまで国によって一切の補償をされていないことへの驚きだった(ドイツやイタリアでは自国民だけでなく、自分たちが起こした戦争で戦災に遭った他国の人々にも補償がされている)。

 

作品を完成させるためにクラウドファンディングが活用されたようで。

 

 

軍隊に召集された者には軍人恩給が出るが、家族に軍人や軍属がいなければ補償はまったくない。自分以外の家族を全員空襲で亡くしても、自らが重い障碍を負うことになっても放っておかれたままだった。

 

僕の母方の祖父は戦時中に陸軍に召集されてフィリピンに行っていたから軍人恩給が出ていたし、父方の祖父は教師で、両親のどちらの祖父母も戦争で生き残った(戦傷を受けることもなかった)から、戦争で家族を亡くしたり障碍を負ったかたがたの補償については恥ずかしながらこれまで考えたこともなくて、東京大空襲(他の地域での空襲でも同様)の戦没者の公的な慰霊碑さえないことも知りませんでした。

 

名前もわかっていない犠牲者のかたがたが大勢いるんですね。

 

国は何もしてくれないから、古い記録をもとに各町々の住民たちが有志で名前を調べ上げて祈念の石碑を建立したり、戦没者名を記した巻物を作成したりしている。

 

 

もはや“紙”の地図の中にしか存在しない“街”

 

映画では主に3人の戦災被害者、家族を失った人たちの社会活動が映し出されている。彼らは、あの戦争で家族を殺されたり自分自身が障碍を負って苦しい生活を強いられた人々への国からの謝罪と補償、戦没者の名を刻んだ碑を建てることなどを要求している。

 

しかし、2023年の今現在も、それは達成されていない。

 

この映画が撮影されたのは2015~16年頃で、ちょうど戦後70周年という節目なこともあって、忘れ去られ、まるで「いなかった」かのように無視されてきた人々の存在をしっかりと後世に伝えるために高齢でありながらも奮闘するかたたちの姿を通して、戦争の惨禍を忘れてはならない、なぜなら「あの犠牲」を忘れてしまえば同じ過ちを繰り返しかねないから、という危惧を伝えようとしている。

 

2022年以降今も継続中のロシアのウクライナ侵攻を見れば、そして僕らが住むこの国の現状を省みれば、戦争経験者、戦災被害の当事者たちの不安や心配がただの取り越し苦労などではないことがわかるはずだ。

 

国に対して謝罪と補償を求める高齢の戦災被害者たちの前に右翼の街宣車が何台も現われて拡声器で「そういうことはアメリカ大使館の前でやってください。あなたがたがやってることは乞食と同じですよ、乞食!」とデカい声で妨害・誹謗中傷する。

 

それを聞く人々の表情に、悔しさのあまり涙が出そうになった。

 

「アメリカに抗議しろ」という意見は間違ってはいないかもしれないが(しかし、アメリカ様の忠実なしもべである現政権が“かの国”への抗議を黙って見逃したり、それに同意するはずもない)、では日本政府には非がないのかといったらそんなことはなくて、あの戦争を自分から始めて、多大な犠牲を出した時点で終わらせておけばその後の本土爆撃や沖縄での激戦、原爆投下などさらなる虐殺行為も避けられたにもかかわらず戦争を継続したこと、そしてその多くの犠牲者と遺族に補償をせず国の過失も認めずにきたことなど、その罪深さは計り知れない。

 

さらに、戦前に制定された“防空法”によって空襲時に家屋の消火活動をせずに避難することは禁じられていたため、それに従った多くの人々が亡くなった。真っ先に逃げていたら助かったはずの命が、誤った情報、法律のために失われた。

 

 

そんな国のために協力した結果受けた痛みと苦しみを訴えている人たちを「乞食」呼ばわりする「自称・愛国者」たち。真に性根が卑しいのはどちらだろう。

 

強い者、権力者たちの手先となってその尖兵として弱者を踏みつける者たちには怒りを禁じえない。お前たちは断じて愛国者などではない。ただの腐れヤクザだ。戦争で痛めつけられた人々の苦しみの100分の1でも味わってみるがいい。そして自分の罪の深さを後悔しながら生き続けろ。

 

心ない者たちの罵声や中傷に耐えながら、戦争で家族を殺されて自らも障碍を負った人々が訴え続けているのは「二度と繰り返さないでほしい」ということだ。

 

先の戦争で殺された人々のことをけっして忘れてはならないのは、多くの犠牲者たちの存在が“戒め”となって新たな戦争を食い止める役目を果たすから。

 

逆に忘れてしまったら、無視して「なかったこと」「いなかったこと」にしてしまったら、歴史は修正・改ざんされて、またしても戦争は美化され、かつてのように「愛国」「国防」の名の下に若者が戦地に送られて民間人が虐殺される同じ愚を繰り返すことに繋がる。

 

多くの戦争経験者たちが口を揃えて「二度と戦争はやってはならない」と言う。

 

あまりに酷い経験をしてきたからこそ、彼らはその身を挺して子や孫、曾孫たち子孫に重大な警鐘を鳴らしてくれている。

 

もう時間がない。戦争経験者の高齢化が進み、自らの戦争体験を語れる人たちがどんどん減っている。私たち後継者たちが語り継がねば、戦争の恐ろしさはあっさり忘れられてしまう。

 

始まってからでは遅いのだ。戦争は始めたら終わらせるのが難しい。時間が経って犠牲者が増えれば増えるほどやめられなくなっていく。かつての日本や現在のロシアを見ていれば一目瞭然だ。

 

他国の罪のない人々を次々と殺し、自国民をも犠牲にする。

 

カルト信者と同様に「美しく強い我が国」の集団幻覚に酔っ払っていてはいけない。

 

かつて自分たちが犯した重大な罪さえも認めず、反省などすることもなく幼児的な万能感を振りかざして暴走した結果、どうなるか。過去の歴史をしっかりと見つめ、想像力を働かせなければ。

 

この映画に出演されている清岡美知子さん(21歳の時に東京大空襲で家族を亡くす。91歳で死去)も、星野弘さん(14歳の時に東京大空襲で家族を亡くす。88歳で死去)も、長年活動を続けられてきたにもかかわらず、生きている間に彼らの願いがかなうことはなかった。今もなお、日本政府は戦災の被害者たちに謝罪も補償もしていない。

 

 

 

 

それどころか、政府とその取り巻きの意に沿わない運動や活動はヤクザを使って排除しようとしている。

 

上映後に、空襲など戦災での被害者の支援活動を続けてきた超党派の衆議院議員のかた(本作品にも出演)が解説をされていましたが、少なくとも自民党が政権与党である限り国があの戦争に対する責任や補償を受け入れることは難しい、と語られていました。まぁ、そうだろうな。

 

政治活動家でもある弁護士の小林節氏がこの映画の中で語られていたように、「あの戦争当時の最高権力者のお孫さん」が首相(この映画の撮影当時)なんだから。

 

その“妖怪の孫”(同名のドキュメンタリー映画はあいにく観れていませんが)が銃弾で命を失ったあとも事態は好転するどころかどんどん危険な方向にむかっていることに絶望感すら覚えますが、志半ばにして亡くなられたあの人たちや今も踏ん張り続けている人たちは、僕たちに「諦めるな」と言っているのだ。

 

東京だけでなく、1970年代から同様の運動を続けてこられた名古屋の女性・杉山千佐子さんも出演されていました。

 

杉山千佐子さん(29歳の時に名古屋大空襲で重傷を負い左目を失明、2016年に101歳で死去)

https://jimdo-storage.global.ssl.fastly.net/file/130764b7-2fa6-4c6f-a030-2bb12a4471bf/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E7%A9%BA%E8%A5%B2%E9%80%A3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88.pdf

 

 

 

 

今年は戦後78年目。もうすぐ80年を迎えようとしている。

 

今を生きる私たち一人ひとりに、今はなき人たちの遺志が託されているのだ。

 

 

 

 

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