監督:内藤瑛亮、出演:宮田亜紀、小林香織、大沼百合子、高良弥夢ほか『先生を流産させる会』。62分。
ある女子中学校で、担任の教師サワコ(宮田亜紀)が妊娠していることに気づいた生徒のミヅキ(小林香織)は、同級生の仲間たち4人とともに「先生を流産させる会」を作ってサワコの給食に理科室からもち出した薬品を入れる。悪質ないたずらが発覚したあともミヅキのサワコへの攻撃は止まらなかった。
「カナザワ映画祭」や「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で上映されてツイッターなどでも話題になっていたので、そのインパクトのあるタイトルは知っていました。
舞台挨拶で会場に監督といっしょにきていた出演者の女の子たちが、映画館の前でふざけあってたわむれていた。
彼女たちはもともとは子役ではなくて、演技に関しては全員素人らしい。
この映画でミヅキを演じる小林香織さんはそのなかでもやはりひときわ目立っていて、映画のなかでは長かった髪をみじかく切っていた。
華奢な体躯のその姿はとても幼く見えた。
この中学校の同級生役の5人の女の子たちは、じっさいにはそれぞれ年齢もまちまちで、そのなかでもリーダー格のミヅキ役の小林さんが一番年少。
なんと撮影当時、小学六年生だったんだとか。
幼く見えるわけだ。
背がひょろっとしていて、チビの僕よりも身長が高かったけど。
そのアンバランスな感じが彼女をよりいっそう妖しくみせている。
まず、これはじっさいに2009年に愛知県半田市でおこった事件をもとにしているが、大幅に脚色されている。
というより、映画の内容はほぼフィクションといっていい。
ほんとうにおきた事件で「先生を流産させる会」を作ったのは“男子生徒”で、妊娠中の担任の給食に異物を混入させたがそれを食べた先生の身体に異変はなく、いたずらが発覚するまで気づかなかったという。
また、映画で描かれているようにこの生徒たちが先生の椅子のネジをゆるめたのも事実だが、ネジが外れることはなく、先生に怪我はなかった。
そして先生は流産していない。※じっさいの事件の概要については文末を参照のこと。
このことをちゃんと押さえておかないと、この映画で描かれていることをすべて「実話」だと信じ込んで、現実にはおきていない凶悪事件のことでじっさいの事件の加害者の生徒たちを不必要に糾弾したり、そういう事件を被害者への配慮もなく無責任に映画化したとして作り手のモラルについて云々することにもなりかねないので、じゅうぶん注意が必要。
それと「じっさいの事件では男子生徒だったのを、映画ではなぜ女子生徒に替えたのか」という疑問を呈している人もいるが、さっき書いたように、この映画はおおもとの部分は事実にもとづいているけれど内容はフィクションであって、別に現実におこった事件のリポートではないのだから、作り手が描きたいこと、伝えたいものによって設定やストーリーが変わってくるのは当たり前のことではないだろうか。
たしかに現実の事件の被害者がいるわけだし、男性映画監督が現実には“男子生徒”がおこしたという事実を「なかったこと」にして加害者を女子に変更、「女同士の話」にしたということについてはいろいろと議論の余地があると思うが。
ダイシックスさんというかたのブログにとても興味深い文章があったので、紹介させていただきます(不都合がありましたら削除します)。
企画の際にじっさいの事件の被害者の先生にコンタクトをとったのかどうかは確認できなかったが、内藤瑛亮監督はなによりも生徒たちがつけた「先生を流産させる会」というまがまがしいネーミングにショックをうけて映画化を考えたという(『先生を流産させる会』内藤瑛亮監督インタビュー)。
このタイトルのことでずいぶんと批判もあったようだし公開も危ぶまれたというが、監督はこのタイトルにこだわったそうだ。
なによりもこのタイトルこそがこの映画を作るきっかけとなったんだから、当然だろう。
で、どうだったかというと。
観終わって、不思議と気が滅入るようなことはありませんでした。
むしろ妙な清々しさすら感じたのだった。
映画のなかでは痛ましい事件がおこって、主人公の女性教師は流産する。
尊い命がうしなわれる映画で「清々しい」などというのは語弊があるかもしれない。
それでも僕は、この映画を観る前に想像していたようなただひたすら陰惨なだけの作品ではなかったことにホッとしたと同時に、これは「命」についてじっくり考えるきっかけを作ってくれるものだと思いました。
この映画はしばしば中島哲也監督、松たか子主演の『告白』と比較されたりしていて、舞台が中学校で主人公が女性教師ということもあるし、題材が題材だけに無理からぬことだとは思うが、僕にはこの二つの映画はまったく別種のものに思える。
いろんな意見があるだろうけど、僕は『告白』は“ホラー映画”だと思っていて、ようするにエンタメ作品なのだ。
一方の『先生を~』の方は、その扇情的なタイトルから連想するような鬼畜系実話エクスプロイテーション映画ではないと感じた。
まぁ、ストーリーも登場人物もほぼ創作でありながら堂々と「実話に基づく物語」と謳う宣伝方法には(嘘はいってないが)、おおいにいかがわしさも感じるけれど。
制服姿の女子高生2人が観にきてたけど(彼女たちがこの映画をどう感じたのかはわからないが)、ほんとに高校生や中学生たちもみんなで観たらいいんじゃないか、と思ったぐらい。
チラシにも「最凶の、教育映画」とキャッチコピーがあるけど、まさにそのとおり。
というわけで、これから感想を述べていきます。
以下、『先生を流産させる会』および『告白』のネタバレがありますのでご注意ください。
先ほどもちょっと書いたけど、この映画ではモデルとなったじっさいの事件と違って「流産させる会」を作ったのは女子生徒になっている。
このことはかなり重要だと思う。
5人グループのリーダー・ミヅキは、給食に異物を混入するあたりからすでに明確にサワコ先生に危害をくわえるつもりでいる。
ウサギ小屋の生まれたばかりのウサギの赤ちゃんを滑り台の上から放り投げて殺す冒頭から、水泳の授業中に生理の血が太ももをつたう場面や、「妊娠してるんだよね。気持ち悪くない?」という台詞など、彼女のなかにある「生々しいもの」への嫌悪感が強調されている。
それは彼女が自分自身の身体を「気持ち悪い」と感じているから。
作り手がなぜ映画で「流産させる会」を作ったのを“女子生徒”に替えたのかは明白だろう。
異物混入事件のあと、呼び出した5人の少女たちにサワコ先生は質問する。
「もし自分のお腹の赤ちゃんを殺されたらどうしますか」
4人は「訴える」と答える。
ミヅキ1人が「いなかったことにする」と答える。
「生まれる前に死んだんでしょ?いなかったのとおなじじゃん」
この場面は、観客に女子中学生の無責任な発言にあきれさせたり戦慄させたりするのが目的ではなくて、もっと広い意味での問いかけだ。
この映画でサワコ先生は人が人の命、それがたとえまだ生まれていない胎児であっても、そのかけがえのない生命をうばうことがいかに許されないことなのかを生徒たちに説く。
「女は子どもを傷つける人間を、ぜったいに許さない」ともいう。
しかし、僕は現実の世界で連日報道されるさまざまな事件を前に、このサワコ先生の言葉はまるで皮肉のようにさえ聴こえてしまったのだった。
女だからって、みんながみんな自分の子どもを大事にできるわけではないことを、僕たちはもうじゅうぶんすぎるほど知ってしまっている。
この映画のショッキングであるはずの出来事に僕がそれほど衝撃をうけなかったのは(別にそれが目的の映画ではないが)、あまりに痛ましい事件が現実にあふれすぎていて、自分の感覚が麻痺しているからではないかとすら思った。
現実におきた事件の加害者の“男子生徒”たちは、おそらく本気で先生を流産させる気などなかったのだろう。
彼らは気に入らない教師に腹いせにいたずらしてやろうとしただけなのだ。
そこには映画のなかのキャラクター、ミヅキがもっていた共感の裏返し的な嫌悪といった感情すらない。
彼ら男子生徒たちが「流産」という言葉を面白半分に使って先生とお腹の赤ちゃんの命にかかわることを平然とやってのけたのは、他者への共感能力や想像力の欠如によるものだ。
彼らはなにも考えていなかったんである。
自分たちがやったことがどれほど恐ろしいことなのか、彼らにはまったく自覚がなかったんだろうと思う。
じっさいには幸いにもそのような事態にはいたらなかったが、もしかしたら現実は映画以上に暗澹とさせられる結末を迎えていたかもしれない。
男は自分が妊娠することはないので、それがどれほどデリケートなことなのか女性のようにはわからない。
少年たちは無知でバカだからこそ「流産」という言葉を平気で使えたのだ。
この先、生理もなく妊娠することもない(ゆえに流産の恐怖もその痛みも直接味わうことがない)あの男子生徒たちは、はたして現在も自分たちの罪をどれほど実感できているのだろうか。
現実の事件について、「この男子生徒たちの子どもも流産すればいいんですよね~w」みたいなこれまた頭の悪すぎるコメントがネットに書かれていたが、「流産すればいい」などと無神経に発言できるこういう輩こそが、あの男子生徒たちと同類の人の痛みに鈍感な人間だということだ。
それに流産するとしたらそれは彼らの妻や恋人、セックスの相手であって彼ら自身ではない。
加害者たちはいつまでも被害者の苦しみを思い知ることはない。
もし事実どおり男子生徒たちの話にしていたら、多分、映画はより怒りやむなしさをともなうものになっていただろうと思う。
それはそれで作られてもよかった気はするが。
映画では男子生徒を女子生徒に替えたために、現実にももしかしたらおきたかもしれない最悪の事態を描きながら、加害者の少女が「命」の重さを学び、この先成長していける余地をあたえている。
もちろん、サワコ先生の赤ちゃんの命をうばったミヅキの行為は簡単に許されることではない。
映画のなかに、彼女が自分のしたことを悔いて涙を流すような場面はない。
だからもしかしたら、映画を観終わってただひたすら不愉快な気分になる人もいるかもしれない。
しかしこの映画を観た者は、フィクションのなかのひとつの命が犠牲になることで「青少年の非行問題」を越える、非常にシンプルな、しかし普遍的なメッセージをうけとるのだ。
赤ちゃんを殺されたサワコ先生が、映画の最後にミヅキにいう言葉にすべてが集約されている。
「いなかったことになんて、できないのよ」
この映画は、女子中学生たちを理解不可能なモンスターとしては描いていない。
また、サワコを手こずらせるモンスターペアレント(大沼百合子)も、家では娘を愛するただの母親に過ぎない。
誰かを悪者に仕立てておしまい、という乱暴な作劇をとらない。
演出面においても、これほど丁寧にされている作品はひさしく観ていない。
なによりもミヅキ役に小林香織という出演者を得たことが大きい。
彼女の顔ヂカラはほんとうにスゴくて、しかしそこから発せられる声の幼さには意表を突かれる。
フミホ(高良弥夢)の母親に彼女は風邪だといわれたときの「嘘ついちゃダメなんだよ」という台詞廻しなどもそうだが、そこにはいわゆる「不良少女」的なつっぱった姿勢はまるでなくて、無垢そのものなのだ。
しかしそんな彼女が行なうのは、無慈悲きわまりない「殺人」なのである。
おそらく意図的にだが、ミヅキの家庭環境についてはいっさい描かれていない。
サワコ先生の体罰の一件でも、あつまった生徒の母親たちのなかにミヅキの母親はいない。
彼女の背景がわかるのはこれぐらいで、それは先述の映画『告白』のなかで、加害者の少年の犯行の動機が「母親の気を引くためだった」というのと対照的である。
『告白』の少年にはうしなって涙を流す「大切な存在」があったが、ミヅキにはそれすらないのかもしれない。
だからこそ、観客はこのミヅキという少女にさまざまな意味づけをすることが可能だし、あるいは彼女に自己を投影することもできるわけで、異様なほどリアルでありながら奇妙に寓話的でもあるという、じつに不思議なあとあじを残す作品となっている。
舞台挨拶のあと、映画館の前の路上でほかの女の子たちといっしょに笑顔でポーズとったり踊ったりしていた小林香織さんの姿にホッとさせられたり、その屈託のない軽やかさに逆になんともいえない不穏なものを感じたり。
ただいずれにせよ、いかなる邪悪な行為にも“魅力”がともなうのはこの年頃の特権ですから。
オバサンやオッサンになったら、世間は気にもとめてくれませんからね。
誤解を招くようないい方だけど、彼女の存在がこの映画にいわくいいがたい輝きをあたえていたことはまぎれもない事実だ。
芝居慣れしたプロの子役だったら、かえってあのような演技はできなかったのではないか。
また、主人公のサワコ先生役の宮田亜紀も、「こういう先生はほんとうに居そうだ」と思わせる説得力のある演技を見せている。
ほかの人の感想などでサワコのことを「厳しい先生」というふうに書かれているのを目にするけど、彼女みたいな女の先生って僕が子どもの頃は普通にいましたよ。
サワコ先生は無意味に厳しかったり、理不尽に暴力を振るうわけじゃない。
なにひとつ間違ったことはしていないでしょ。
生徒たちを叱るとき。あるいはモンスターペアレントの相手をしたあとの「バカばっかり。バカがバカを産んで、そのバカがまたバカを産む」という台詞などは、現実にそういう親や生徒相手に奮闘している教師たちの本音だろう。
映画館の外の喫煙スペースでひとりタバコを吸っていらっしゃった宮田亜紀さんのお姿が目に浮かぶ(とてもお綺麗なかたでした)。
もっとも、サワコ先生が肉体的に頑丈すぎるのでは、という気もしたが。
クライマックスで腹をあれだけ強打されて大量に出血、結果的に赤ちゃんも死んでしまい母体も危険な状態で、まるでスーパーヒロインのような台詞廻しでミヅキの指から指輪を外すところなどは、もうちょっと繊細に演出してもよかったのでは、と思った。
意識が朦朧としながら、それでも我が子を殺した相手の命を救うという行為こそが、この映画の最大の見せ場だったわけだから。
それでも教室での生徒たちに対する彼女の啖呵はとても小気味よかったです。
女王の教○やヤン○ミなんかよりもよっぽどカッコイイ。
僕は、この映画は最近観た邦画のなかでもかなり上質な作品ではないかと思います。
作り手の成熟したまなざしを感じた。
はやくも内藤監督の次回作が楽しみです。
以下は、じっさいにおきた事件の概要。
『先生を流産させる会』映画化…実際に起きた悲惨な事件の概要
愛知県半田市内の中学校で1年の男子生徒たちが妊娠中だった担任の女性教諭に対し「先生を流産させる会」を結成して、教諭の給食に異物を混ぜるなどの悪質ないたずらをしていたことが分かった。
学校によると、教諭は30代。3学期が始まった1月、席替えの決め方に対する不満や、部活動で注意されたことへの反発から、生徒ら数人が周りの生徒に声を掛けて反抗しようと計画、16人で会を結成した。
同月末には、生徒らがチョークの粉と歯磨き粉、のりを混ぜ合わせたものを教諭の車にふりまいたり、いすの背もたれのねじを緩めたりするなどのいたずらを始めた。
2月4日には理科の実験で使ったミョウバンと食塩をそれぞれ少しずつ持ち帰り、気付かれないようにして教諭の給食の中に混ぜたという。
ミョウバンは食品にも使われている物質で、教諭の体調に異常はなく、混入には気付かなかったらしい。
学校は保護者同席の上で生徒たちに注意した。今は深く反省しているという。
学校によると、教諭は「生徒らが反省をし、それを生かした行動をとれるようになるのを望んでいる」と話しており、刑事告訴はしない意向。
同校の校長は「ゲーム的な感覚や友人との付き合いでしたことで、流産させようと本気に画策したわけではないと思う。命の教育を浸透させ、今後二度と起こさないようにしたい」と話している。
[中日新聞2009/03/28より引用]
追記:
その後、2017年11月10日に愛知県尾張旭市立東中学校で2年の男子生徒が教諭の給食に下剤を入れて、それを食べた副担任が救急搬送される事件が発生。現実はまた一歩、映画に近づいた。
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