『完全なる証明』①

『完全なる証明』②

『完全なる証明』③

『完全なる証明』④

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2006年、『亜州数学』の2006年6月号に、その号のほぼ全て(約300ページ)を使って、ツァオ・ファイトン、チュウ・シーピンという2人の中国人数学者による論文が掲載されました。
それは「ポアンカレ及び幾何化予想の完全な証明―――リッチ・フローに関するハミルトン=ペレルマン理論の応用」と題されています。つまりこれはペレルマンの証明を解説したものではなく、ハミルトンやペレルマンの基礎研究の上に立ち、自分らが「最後の一歩」つまり完全な証明を得たという主張でした。

アブストラクトにはこのようにあります。


「本論文において、我々はポアンカレ予想と幾何化予想の完全な証明を記す。本研究は、過去30年間に行われた数多くの幾何解析学者による研究の蓄積の上に立っている。本証明は、リッチ・フローに関するハミルトン=ペレルマンの理論の最高の到達点とみなされるべきものである。」


つまり賞金100万ドルは中国人数学者のものであり、問題解決に関わる名声、栄光も自らのものであると主張したのです。
この2人の中国人数学者には、ヤウ・シントゥンという数学界の世界的大御所がついていました。そしてヤウは、リッチ・フローを発明したハミルトンの親友でもあったのです。

ヤウの研究所の副所長はこのように語りました。

「ハミルトンの貢献が50%以上、ペレルマンが約20%、そしてヤウ、チュウ、ツァオらが約30%である。」

著者によると、「どのように貢献具合を弾き出したのかは謎」「それを弾きだす魔法のような数式があるとみえる」などとあります。
そしてホーキング博士を招いた国際会議において、ヤウは「この問題の完全解決という大成功を収めたことを誇りに思うべき」だと語ったのです。

しかしその後のマドリード国際数学者会議で出されたプレスリリースは、「ペレルマンの幾何学への貢献、及びリッチ・フローの解析構造と幾何構造への画期的洞察に対しフィールズ賞を授与する」というものでした。彼の証明は3年以上にわたり査読が行われたが欠陥は依然として見つかっていない、というのも受賞の理由でした。

そしてこれが大騒動を巻き起こします。
自分の発言がマスコミに次々に掲載されるのを見て、マスコミ慣れしていない、やはりそこは「数学者」であるヤウは愕然としました。そして急きょ弁護士を雇い、この時に至って「ペレルマンから賞金を奪い取ろうとしたことなどない」と主張を豹変させたのです。

一方ペレルマンは、この時にも「完全に証明した」という公式発表が未だに出ておらず、「画期的洞察」などと言葉を濁していることに苛立ちがあったものと思われます。ヤウ、ツァオ、チュウの起こした騒動もあり、そこに政治的臭いを嗅いだということもあったでしょう。
そしてペレルマンは数学界で最高の賞であるフィールズ賞の受賞を拒否します。ペレルマンにしてみれば、同時に受賞する他の3人の数学者と同じ扱いであることを拒否し、自分を一歩高みにおいたのかもしれない、と著者は語っています。


さて、ツァオとチュウに賞金を与えるべきだという意見はまだくすぶっていましたが、その年、あるPDFファイルが数学者の間に回され、その話は完全に消滅します。そのファイルには、ツァオとチュウが時系列をいじりまわし、自分らこそがクライナーとロットの研究に先駆け、最初の手柄を得たということを捏造した証拠が掲載されていたのです。その「証拠」は、いかに彼らが大急ぎで捏造したかということを示す非常にお粗末なものでした。
後日改訂版の論文が出されましたが、そのアブストラクトにはもう勝ち誇った調子はありませんでした。

ヤウ、ツァオ、そしてチュウらの精神とペレルマンの精神は、同じ数学者でありながら、全く対極を向いていたと言わざるを得ません。
地位や名誉を得るため、さらには賞金を得るためには、他人の仕事の成果を不正に奪い取って「自分がやりました」と言ってのけるその執念。
一方ペレルマンは「証明されていない問題があったから証明した」というだけのことであり、それを「あなたが確かに自分の力で証明した」と認めてさえもらえれば金銭も名誉も何も要らない、という数学者としての異様なほど一徹な執念。

もちろんフリードマンやハミルトンらは、何も不正なことをしたわけではありません。しかし彼らは超一流の数学者という凡庸な(全く普通の)人間であり、その精神の住む場所は、ツァオ、チュウらと同じ世界にあったのです。
ペレルマンと「彼ら」の世界が最終的に交わらなかったのは、仕方のないことだったのかもしれません。

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こうして、ペレルマンは外界との接触をほぼ完全に断ちました。

あるマスコミが取材に成功しますが、彼は「ステクロフ研究所を辞めてからずっと数学はやっていませんし、今後もやるつもりはありません」と返答しています。

そして2008年、数少ない対話の相手であったルクシンとの交流も絶たれました。
今でもまれに連絡を取れるのはグロモフだけだといいます。グロモフは「彼はすでに定理を証明した。このうえ解決することなど何もない。彼はあの定理を証明したんだ」と語っています。