そして、サヨナラのれん街 | えほんや通信

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名作童話の電子出版「えほんや」の編集長・原 真喜夫のブログ。こどもの本と教材、雑誌、実用書の編集を手がける編集プロダクション・スキップの代表取締役。アロマテラピーにも目覚める。村上春樹、マーヴィンゲイ、寿司と焼き鳥、日本酒とワイン。

おしらせ
さよなら、のれん街。

東急東横店東館は3月31日を持って閉店。
たくさんの人が、お店でなごりおしそうに
話し込んでいらっしゃいました。

そうは言っても、ほとんどのお店が
4月4日にはマークシティの地下にお目見えするけれど…

残念なのがひとつのお店が本当になくなること

銀のぶどう

西洋和菓子 「銀のぶどう」

今回の東館クローズに伴って、なくなってしまうとのこと。

ここは、高校時代の同級生が
フードコーディネーターとしてのキャリアを
スタートさせた会社でもあり、
とても思い出深い店です。

独立してから、お中元とお歳暮を
毎年贈っていたころは必ず「銀のぶどう」でした。

手みやげに喜ばれた「秀くりぃむ」
「東京ばなな」が大ヒットするころには
同級生は退職して、フードコーディネーターとして成功。

やがて、バブルの崩壊や、虚礼廃止の風潮に伴って
我が社も中元、歳暮をとりやめました。

それでも「白らら」はよく買っていたし、
あのかごは今でも重宝しています。

さよならのれん街
東横線のホーム中央から降りてくると
こののれん街に吸い込まれたものです。

お腹がすいてなくても、思わず誘われる香り。
米八のおこわや過門香の餃子。
まい泉のかつサンド。
あじ寿司に梅干し、ソーセージにサラダにリゾット。

ボクの身体の1割ぐらいは、のれん街の食べ物から
できているかもしれない。
そうすると、東急プラザの地下にある
「丸鮮しぶや市場」の食材が2割をしめていそうだけど…。

アナスイ前
こちらはアナスイがあったところ。
エレベーター前。

階段
東横線に昇る、毎晩24時半ぐらいに
駆け上がっていた階段。

いろんな思い出のつまった
「デパート」の
一幕が終わっていく。


いろいろな物が音を立てて変わって行く。

きっと1964年、東京オリンピックのころも
こんな感じだったんだろうな。

渋谷川にふたが渡され、首都高ができ、
(首都高を走らせるのが青山通りにするか
 六本木通りにするかで、青山の商店街が反対したと
 昔、父に聞いたことがある)
国立競技場ができ、代々木体育館ができ、
都電がなくなり、バスが走り…。

東急文化会館はヒカリエに変わり、
東横線は地下にもぐって、
東急東横店、東館がクローズし、
のれん街がひとつの時代を終えた。

新のれん街
そして、新しいのれん街が待っている。
4月4日のオープンを。

去る店、生まれる店。

こんどは、自然食の「みどりえ」が入店する。
学芸大学の、好きな店の一つだ。

変わるもの、変わらないもの。

やがてあたり前の風景になっていく。

あたり前の日常になっていって、
「昔は東横線のホームが2階にあって、
 その下にのれん街があったんだ」って話にやがて変わっていく。

変わらないもの、変わるもの。

生きるのは、毎日だ。

こんな街が、渋谷が大好きだ。

明日は、晴れるといいね。
待ってるぜ、新しい「のれん街」!