【ダウン症のある次男の登校拒否の話】

4年前、地域の中学校の支援学級に進学したダウン症のある次男ですが、

緊急事態宣言が発令されている間は、ステイホームしていて、

学校も2週間に1回くらい、短時間での登校だったので、

緩~く、だんだんに学校や先生に慣れていくのかな~♡と、

コロナの感染拡大に怯えながらも、のんびりと考えていた、春でした。


それが、6月から急に毎日登校になり、
日に日に学校に行くのを嫌がるようになり、
徐々に朝起きることが難しくなっていきました。

7月に入ってからは、夜、なかなか眠れず、夜中の1時、2時になっても「眠れない!」「目を閉じるのが怖い!」など、言い出すように
なっていったのです。


毎朝、それでも、ちょっとでも学校に行かせようと、あの手、この手を使って、車に乗せて、

学校に着けば、あきらめて?なんとか行けるのでは?と、

(騙すようにして)学校の駐車場に駐車すると、

学校だと気づいて、「なんで、学校に来たの?」と、怒るのですが、

それでも、「学校に行かないと、好きな放課後ディサービスに行けないよ!」と言うと、

なんとか、しぶしぶでも、車から降りて、教室に行くことが出来ている日々でした。


ところが、7月に入ってからは、その大好きなディサービスも、「学校に行くぐらいなら、行かなくてもいい!」というような

ことを言い出し、これは、私が考えているよりも、深刻な事態なのでは?と、やっと、思い至りました。


そうしているうちに、通っているディサービスさんから、「家庭訪問してお話したい!」というお申し出があり、

7月中旬の土曜日に、いらしてくださいました。

そこで、ディサービスでの様子をお聞きして、びっくりしました!

デイサービスに来ても、笑顔が減って、みんなの輪に入らなくなっている現状をお聞きし、

おしゃべりだったのに、口数も少なくなってしまったことを心配してくれたのです。

それまでは、学校ではお友達が出来なくても、ディサービスでは、気心の知れた仲間がいるので、

普段通りに過ごしているのだとばかり思っていたので、本当にびっくりしました。


そこで、週明けの月曜日に区役所に実情をお話したところ、学校に行かなくても、

ディサービスだけを利用することも出来ることをお聞きして、

さっそく、その日(7月中旬)から、思い切って、学校はお休みして、ディサービスだけの利用にしました。

(利用時間は、学校が終わる時間からになるので、午後2時からの利用で、週に3回行くことにしました)

そうしたところ、徐々に、息子の笑顔が戻ってきたのです!


学校に無理やり行かせていた時には、

「ママはうそつきだ!」

「ぼくを学校に置いて帰った!」

と、厳しい表情で言っていたのは、本当に、限界だったのだと、

今更ながら、申し訳ないことをしたと感じて胸が痛みます。
 
うちでは、畳に自分の頭を打ち付けて、私に伝わらない気持ちのもどかしさを、
表現していたのに、私は、それでも、そこまで深刻に考えていなかったことを、
いまさらながら、反省しています。

ごうきの8つ上の長女は、中学は不登校を経験していたのですが、
まさか、弟が、不登校になるとは、思ってもみなかったことでした。


中学校の支援学級では、先生方やクラスメイトたちも親切に対応してくださったのですが、

ごうきは、負けず嫌い過ぎて、、、勝てない相手とは勝負をしない主義で、

みんなと自分との差を、感じすぎてしまい、心を開くことが出来なかったのだと思います。
 
あとから聞いたことによると、その学校の支援学級の生徒さんたちは、
ほとんどが高校に進学するような知的レベルの生徒さんだったようです。


(ごうきは、小学校では、上級生として、小さい子の面倒をよく見て、兄貴分として頑張っていたのですが、

中学に入った途端に、自分がお世話される側になってしまい、それを受け入れることが出来なかったのだと思います)


夏休みに入る頃に、学校で行われた面談で、先生とお話して、

翌年4月からは、近隣に新設する特別支援学校への転校を希望しました!
(すぐの転校が出来なくて、春にならないと転校も出来ないことも残念な制度だと感じました)

同じダウン症のある仲良しのお友達も入学予定だったので、

ごうきも、気心の知れたお友達との再会を楽しみに、春まで、うちでの時間も楽しみました。
 
その1年間に描きためてきた絵が、
その後のごうきの人生を明るいものにしていくことになりました。
 
今は、学校に行かないという選択があることを、
夏休み明けに学校に気持ちが向かないお子さまに、伝えたいと思っています。