私が、3人目の子どもが欲しかった理由は、

いくつかあるのですが、

 

2人の子どもたちが「赤ちゃんが欲しい!」と、

言ってくれたことと、

 

40代になって、

人生の折り返し地点に立って振り返った時に、

何かやり残したことがなかったか?

と考えた時に、もう一人赤ちゃんが欲しいと思ったこと。

 

そして、もう一つの理由は、

長女を授かる前に3人の赤ちゃんを流産したことでした。

 

「40代の私が3人目の赤ちゃんが欲しかった理由」については、記事に書きました。

 

今回は、私と流産の経験について、お話したいと思います。

 

流産の記憶は、思い出したくない過去の記憶ですが、

同じような思いをした、どなたかのために、

書き留めておきたいと思います。

 

 

流産の経験は、本当に辛く哀しい経験でした。

それまでの人生の中で、こんな経験がなかったし、

31歳でやっとご縁があって結婚して、

すぐに赤ちゃんを授かって、

嬉しいことが続いていたところに、

抱えきれないほどの大きな哀しみに

襲われたような気持ちになりました。

 

27年前のことです。

産婦人科の定期健診の日、

思ってもみないことを言われました。

「赤ちゃんが育っていません」

まだ妊娠6週くらいの時でした。

 

その時の医師の発言にびっくりしました。

 

流産の説明、翌日の手術についてなど、

一通り聞いたのですが、

もう頭が真っ白で、心も、

身体も身動き出来ない状態になってしまいました。

一通りの説明のあとに、

「ご主人は?」と聞かれて、

「待合室にいます」と言った時に、先生が、

「え?二度手間になったじゃないか!」と、

言われて、驚きました。

 

「あ⁉すみません。呼んできます。。。」と

言ったような気がしますが、

そこから、診察室に夫が来てからの

記憶はありません。

別室で、看護師さんから翌日の手術の説明を

夫と聞いて帰ったように思います。

 

ただ、先生からの冷たい言葉

「(説明することが)二度手間になった」と

投げられた言葉にひどく傷つきました。

 

哀しみの中にいる私に、

「妊娠したことが分かった時に、

流産の可能性については説明したよねえ?」

とも言われました。

 

先生からしたら、6,7週の流産は

日常的にあることだったと思いますが、

私にとっては、人生で初の経験であり、

こんな哀しみが世の中にあったのだと、

初めて知った日だったのです。

 

周りの友だちから、

流産したというような話は

聞いたことがなかったし、

私だけどうして?

という気持ちもあったかな?と思います。

 

そして、何より辛かったのは、

翌日の手術の当日のことでした。

朝9時くらいだったと思いますが、

指定された時間に病院に行ったところ、

子宮口を広げる薬を身体に入れて、

広がるのを待って、

午後2時くらいに手術するという流れでした。

 

朝、夫に病院に送ってもらったら、

夫は、看護師さんから「夜、手術が終わってから

迎えに来てください」と言われました。

 

悲しみに打ちひしがれ

子宮口が人工的に広がっていく

痛みに耐える時間は、

とても長く感じられました。

 

病室では、カーテンの向こうに、

陣痛に耐えて、

そろそろ赤ちゃんが生まれるママがいらして、

医療スタッフの方が付き添って、

生まれるタイミングを見ていました。

 

私は一人孤独に、その身体の痛みと、心の痛みに

涙が止まらない状態でしたが、

看護師さんの見回りもなく、

寄り添うような方もいらっしゃらなくて、

ただ放置されているような感じでした。

 

コロナ禍でもなかったのに、

どうして夫の付き添いが許されなかったのか?

個人病院で、とても評判の良い病院だったので、

選んだ病院でした。

 

予定の午後2時になり、手術台に上がった私に、

先生は、「次は大丈夫だからね」と優しく言いました。

いよいよ手術に入るとなり、麻酔を鼻から吸いながら、

「10、9、8、と数えてください」と、

言われて「1」になる前に、

眠りにつく時に、不思議なことがありました。

私の枕元に、男の子が立って、

「僕が行くから大丈夫だよ!」と言ったのです。

それは、成長した長男によく似た男の子でした。

夫の子どもの時の写真を見ていたから、自分の中で、

そのような夢を作り出して見たのかもしれませんが、

その言葉を聞いて、安心して眠りにつき、

無事に手術を終えることが出来たのでした。

 

その後、半年後に妊娠して

双子を授かったのですが、

その時も、7週で流産になりました。

 

そして、その病院で夫婦そろっての血液検査によって、

赤ちゃんが出来にくいという診断を受け、

私も、夫も悲しい日々を過ごすことになりました。

 

1年くらいが経った頃、

結婚して10年、

まだ赤ちゃんを授かっていないという友人から、

大学病院の妊娠外来に行っていることを聞きました。

その友人から、赤ちゃんを諦めていないという話も聞き、

私も病院を変えて、

もう一度検査に行ってみようかな。。。

という気持ちになりました。

 

それからまもなく、意を決して大学病院に行って、

2人の血液検査をしたところ、

なんの問題もないことが分かったのですビックリマーク

 

そこから、長女を妊娠するまで3か月。

おねがい子宝温泉に行って、

子宝神社で祈願もしました。

そのことは、またの機会に記事にしたいと思います。

 

3人の子どもたちは、まさに私たち夫婦の宝物になりました。

 

 

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今日もお読みくださって、

ありがとうございました。

皆さまに読んでいただいていることが

記事を書いていく励みになっております。

 

8年前に完成した手記「うちの子育てはっけよい!ダウン症がなんのその!?」~ごうちゃんと共に~えほん文庫8年のあゆみ
(タイトルは長女がつけて、帯の文字「こんな場所があった 全ての子育てママに知ってもらいたい」は夫が考えました!)

 

 

 

 

 

私が11年綴っている「えほん文庫」のブログはこちらです↴

https://ehonbunko.hamazo.tv/

 

2023年8月3日~5日に開催した

ダウン症少年画家ごうきのミライエ展を

 

 

取材して紹介していただいた

静岡第一テレビのニュースはこちらです↴

 

サインペンで創造するシュールでポップな世界観 ダウン症少年画家「ごうきさん」作品展 浜松市北区 8月5日まで(Daiichi-TV(静岡第一テレビ)) - Yahoo!ニュースダウン症の少年画家「ごうきさん」の作品展が3日から浜松市北区で開かれています。 ダウン症の少年画家 大村剛輝(ごうき)さんの作品は、サインペンを使って創り出すシュールでポップな世界観が特徴です。会リンクnews.yahoo.co.jp

 

 

※ダウン症の告知についての体験談は、

9年前から、聖隷クリストファー大学 助産学専攻科にてお話しさせていただき、

4年前からは、浜松医科大学でも非常勤講師として授業をしています。

 

☆2023年、現在のごうきは特別支援学校の高等部1年生で、

昨年から、ダウン症少年画家ごうきとして、

絵の個展を開くなどの活動を始めています。

2022年秋の作品展の密着取材
(私のインタビューと作品展の様子がわかる)YouTube動画はこちらです。↓

 

 

 

家族の中心にごうきがいることを幸せに感じております。

 

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