ダウン症と宣告されました③検査結果待ちの地獄の3週間の続きです。

 

 

 

前回の記事で、検査結果を待った3週間について書きましたが、

 

ダウン症の疑いの告知を受けたのは、赤ちゃんが生後4日目のことだったので、

 

帝王切開の術後の痛みに苦しみながら、あと3日間は入院していました。

 

※写真は、まだ3人目の赤ちゃんを授かる前の上の子どもたちと旅行中の私です。

 

 

母乳があまり出ない私は、一人目はミルクと母乳の混合にしていましたが、

 

2人目からはミルクだけで育てました。

 

そのため、3人目の赤ちゃんもミルクで育て始めたところでした。

 

3時間おきに生まれたばかりの赤ちゃんが並んでいる新生児室に行って、

 

ママたちはミルクや母乳の準備が出来たところで、それぞれの赤ちゃんを受け取り

 

横に一列に並んで座ってミルクをあげることになっていました。

 

私も3日目までは普通に、当たり前のように、そこでミルクタイムをしていたのですが、

 

ダウン症の疑いの告知を受けた後に、そこに座った時、その場にいたたまれない想いになりました。

 

座った場所の隣の新生児用のベッドには、名前と血液型が書かれていました。

 

その時、ふっと悪い考えが頭をよぎりました。

 

「赤ちゃんを取り替えてほしい!」

 

同じ日に生まれた、同じ血液型の赤ちゃん。。。

 

落ち着いて考えれば、母親として、人間として最低の考えだと思いますが、

 

当時は混乱の中にいたのだと思います。

 

 

しかし、この悪い考えが浮かんだ瞬間、

 

私は、看護師さんに「授乳は個室で行いたい」ことを伝えました。

 

とにかく、自分を隔離しなければ、、、

 

でもその想いと同時に浮かんだのは、

 

もしも取り替えたなら(もちろんそんなことは出来っこありませんが)

 

私が感じている、この苦しみ、悲しみ、そのすべてを、この隣のママさんが背負うことになる。

 

それだったら、私が背負うことにしよう!

 

その時に悲痛な決意をしました。

 

 

健康な赤ちゃんを産んだママたちが

 

横に一列に並んで授乳するような場面に一緒にいることは、

 

辛いことだったし、それは地獄の時間に感じました。

 

 

他のママたちとは接触しないようにしても、トイレは共同だったし、

 

退院までの3日間は、耳を抑えても

 

他のいくつもある4人部屋から楽し気な会話や笑い声が聞こえてきました。

 

無事に赤ちゃんを生んだばかりのママ、これから出産するママたちがいる

 

幸せに満ちた大学病院の産科病棟の中で、

 

孤独に耐える3日間を過ごすことになりました。

 

 

夜には、夫が上の子どもたちを連れてきて、

 

賑やかにみんなで買ってきたお弁当を食べるのですが、

 

面会時間が終わる20時からは、また孤独な時間になりました。

 

夜中の授乳タイムは看護師さんにお任せしたのですが、

 

朝まで眠れず、涙、涙で過ごしたように思います。

 

今だったら、きっとネットで情報を集めたり、

 

同じ想いの方とつながることも出来たと思うのですが、

 

16年前の当時は、携帯電話は持っていても、

 

お友達とメールをすることくらいしか出来ませんでした。

 

ダウン症の疑いの告知をした医師は、看護師さんたちにどんな指示をされたのでしょうか?

 

入院中、看護師さんにも助産師さんにも、医療従事者のどなたにも寄り添ってもらえなかった、そのことについては、本当にそれでよかったのか?

 

医療関係の方々には考えてもらいたいと思います。

 

16年後の今は、いろいろな体制が出来きていると良いのですが、

 

私のような孤独にさいなまれていないことを望んでいます。

 

 

また、ネットが普及している今は、また他のお悩みも聞くことがあります。

 

ネットでは、ダウン症について良い情報がないらしく(中にはあると思いますが)

 

そのことで気持ちを病んでしまっているママにも何人かお会いしたことがあります。

 

私は退院間近の時に、私の担当だった看護師さんなのか?1回だけお話しをしました。

 

私の様子がおかしいと感じてはいたようで、

 

「(ダウン症の疑いのことで)先生からお話があったからですか?

 

ダウン症なら仲間がたくさんいて良いですね。」と、言われました。

 

当事者の私からしたら、唖然として返す言葉は見つかりませんでした。

 

心の中で返した言葉は、

 

「仲間?仲間がたくさんいる?それなら、その方たちはどこにいるのでしょうか?」

 

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その時、希望が持てる何かを渡してもらえていたら良かったのに、との想いをきっかけに、

数年後にダウン症のリーフレットを自主製作することになるのですが、

 

その話は、またあらためて記事にしたいと思います。

 

ダウン症と宣告されました④退院までの3日間の孤独 の続きは、

続きは、ダウン症と宣告されました⑤ダウン症の確定の告知「不幸中の幸いにも」という言葉 に綴りました。

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16年前、次男ごうきが生後4日目に

大学病院の小児科医にダウン症の疑いの宣告をされ、

その3週間後に血液検査の結果を聞きに行った時のことについては、
あらためて綴ってまいります。
続き物になりますが、読んでいただければ幸いです。

※ダウン症の告知についての体験談は、

9年前から、聖隷クリストファー大学 助産学専攻科にてお話しさせていただき、

4年前からは、浜松医科大学でも非常勤講師として授業をしています。

 

☆2023年、現在のごうきは特別支援学校の高等部1年生で、

昨年から、ダウン症少年画家ごうきとして、

絵の個展を開くなどの活動を始めています。

2022年秋の作品展の密着取材
(私のインタビューと作品展の様子がわかる)YouTube動画はこちらです。↓