~ダウン症と宣告されました②ダウン症の疑いの告知~記事の続きです。

 

 

ダウン症の疑いの告知を受けて、血液検査をお願いしてから、

入院期間は、その後3日間ほどありました。

(その「3日間の孤独」については、また記事にしたいと思います。)

 

母子で病院を退院してからの

その後の3週間ほどは、

ダウン症かもしれない。そうじゃないかもしれない。

という考えの間を行ったり来たり。。。

気持ちが翻弄し続けました。


筋力が弱いというけれど、けっこう足を蹴る力があるから、

筋力も結構あるのでは?

顔つきについても、いわゆるダウン症らしい顔に見える時と、

全然それらしくない時もあるし。。。

 

ただただ、神様に(無宗教ですが)

「どうか、許してください。」と、許しを請いました。

ダウン症でなかったとしても、私はこの先の人生で、

ダウン症のある方々のためになる何かしら役に立つことをいたしますから、、、と。

どうか、我が家の赤ちゃんだけは許してほしい、と。

 

ダウン症について何も知らない私は、勝手なお願いをしてしまいました。

その時の私は、「ダウン症ではない」という検査結果が出ることだけを祈りました。

 

夏休み中に生まれたので、

上の2人の子どもは

長女が小学2年生、長男は年中さんで、

赤ちゃんのお世話も楽しくしてくれました。

当時の私の写真が少ないのは、私が撮らせなかったからだと思います。

 

 

9月に入って、子どもたちが学校や幼稚園が始まると、

日中、赤ちゃんと二人きりの時間にはカーテンを閉め切って、

赤ちゃんを抱っこして泣く日々を過ごしました。

やはりミルクの飲みが悪く、体重はなかなか増えず、

気持ちも下がっていくばかりでした。

 

赤ちゃんが生まれることを楽しみにしていてくれた

隣に住んでいる義理の母にも、抱っこさせずに閉じこもっていたのは、

もし、抱っこさせて、顔を見て、ダウン症ってわかったとしたら、

私は、この家には、いることは出来ないだろう。と、なぜか思い込んでいたからです。

 

上の子どもたちが寝静まった時間には、

夫に「赤ちゃんと2人でどこか遠くに行きたい!」と、もらしたこともありましたが、

「どこに行くんだ?上の子どもたちはどうするんだ!

(実家の)お母さんがどんなに悲しむか。。。」と言われ、我にかえりました。

でも、ダウン症と確定したら、この家にはいられないように思いました。

 
そして3週間が過ぎ、

「結果が出ましたから、ご主人と一緒に病院にいらしてください!」

と電話が掛かってきました。

もし、ダウン症でなかったとしたら、

電話で「違いましたよ!」と言ってくれると思っていたのに、

そうは言ってくれませんでした。

しかし、それでも、なお希望を捨てきれず、

違ったってことを、夫と2人に報告したいんだ!と、

思おうと自分を奮い立たせ、普段より少しおしゃれして、

夫と血液検査の結果を聞きに行ったのは、

まだ暑い夏の日のことでした。(続く)

 

続きは ダウン症と宣告されました④退院までの3日間の孤独 に綴りました。

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続き物になりますが、読んでいただければ幸いです。

※ダウン症の告知についての体験談は、

9年前から、聖隷クリストファー大学 助産学専攻科にてお話しさせていただき、

4年前からは、浜松医科大学でも非常勤講師として授業をしています。

 

☆2023年、現在のごうきは特別支援学校の高等部1年生で、

昨年から、ダウン症少年画家ごうきとして、

絵の個展を開くなどの活動を始めています。

2022年秋の作品展の密着取材
(私のインタビューと作品展の様子がわかる)YouTube動画はこちらです。↓