2024年5月4日 夕張支線廃線跡探訪③ | 鉄道歳時記

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5月4日 土曜日 夕張支線廃線跡探訪の第3回です。

前回ご紹介した第6幌加別川橋梁から見えていたトンネルからスタートです。

たくさんの方が訪れているようで、踏み跡を辿って行くとトンネルの坑口近くまで難なく辿り着くことが出来ました。

旧線側のトンネルにはさすがにレールは残っていませんが、トンネル内の道床は今でも分かる状態です。

夕張側の坑口も近くまで行くことが出来ました。

清水沢-鹿ノ谷  稚南部トンネル

続いては夕張鉄道の若菜駅跡にやって来ました。1926年に夕張鉄道線の開業に伴い開業した駅で、開業当時は若菜辺駅という駅名だったそうです。1954年に若菜駅に改称しましたが、1971年には旅客営業が廃止され、当駅から分岐していた北海道炭礦汽船㈱化成工業所専用鉄道の廃止と共に1978年廃止となった駅です。

ホームと石垣が残存していますが、夏場には草が生い茂って恐らく判別付かない様な気がします。

夕張鉄道 若菜駅

若菜駅のすぐ脇には水路を跨ぐボックスカルバートも残っていました。

夕張鉄道 夕製前-若菜間

鹿ノ谷駅は明治時代の1901年12月、当時の北海道炭礦鉄道(後の国鉄夕張線、石勝線夕張支線)の駅として開業しました。1926年10月に私鉄の夕張鉄道・栗山~新夕張(後の夕張本町)間が全通すると国鉄との接続駅となり、同鉄道の機関区や保線区などを有する拠点駅でした。1975年4月には夕張鉄道が廃止され荷物扱いが終了した1984年には無人化されました。夕張線廃止後にはJR北海道から夕張市の有志が設立した「合同会社鹿ノ谷駅」へ駅舎が無償譲渡され、駅舎の補強工事や復元工事が行われています。

ホームには復元された駅名標がありました。

跨線橋からはかつての広い構内を見渡すことができます。

鹿ノ谷駅

鹿ノ谷駅の先には、第5志幌加別川橋梁が残されています。奥が複線時代の橋梁です。手前が廃止されるまで使用されていた鉄橋ですが、廃線後は道路に架かる部分の桁は撤去されてしまいました。

数m先には夕張鉄道の橋台が残されています。

鹿ノ谷ー夕張 第5志加幌別川橋梁

夕張支線廃線跡探訪の第3回は以上です。