この記事からの続きです
慈照寺の秋山さんの言葉を聴いて僕は自身の体験を思い出していた。

2011年の4月。
311でお姉ちゃんが亡くなってから1ヶ月も経っていない時期。心が落ち着かないまま僕は淡路島にいた。
当時、作業療法士の学生だった僕は2ヶ月の病院実習で淡路島に来ていたのだ。

実習開始前日に近くの宿に着き、明日からお世話になる病院を下見に行った時、驚くことがおきた。
なんと、病院の目の前が阪神淡路大震災の『震災記念公園』(野島断層保存館)だった。
そこは阪神淡路島大震災の『震源地』。今も生々しい断層が当時のまま保存されている。
『今、震災を思い出したくないのに。そんな残酷なことってあるの?』という想いが沸き上がってきた後、少し冷静になり『僕がここに導かれた意味があるのかもしれない。』と思えて、思いきって建物の中に入った。

 そこで、地震体験装置や野島断層を一通り見た後、最後に図書室みたいな部屋にたどり着いた僕はそこにあった文集みたいなものを手にとった。

 それは震災遺族の方が書かれた文集で、

僕がたまたま開いたページは震災で母親を亡くした小学生の男の子が書いた文章が載っていた。

 その方が書いた最後の一文を見た時、『僕はこれを読むためにこのタイミングで淡路島に来たんだな。』と思えた。

 そこにはこう綴られていた。


震災のせいでお母さんは死んでしまった。

だから今の僕は『震災なんか起こらなければ良かったのに』と思っている。

だけど僕はいつか『震災があったからこそ』と思える自分になりたい。


何度も繰り返しその一文を読んだ。

『震災があったからこそ』と思える自分。

当時の僕は到底そんな気持ちになれなかった。

なんで?なんで?なんでお姉ちゃんなん?

兄弟の中でも一番優秀で、両親の自慢の娘。

結婚して、一度流産して、ようやくできた待望の子供がお腹にいて、仕事だってこれからって時に・・・なんで?

震災なんか津波なんか起こらなければ良かったのに、と毎日毎日思ってたし、自分の将来のことなんて考えられなくなっていた。


けど、どうだろう。

お姉ちゃんが今の僕の姿を見たらどう思うだろう。

自分のせいで弟が前に進めなくなっていると思うかもしれない。

少なくとも喜びはしないだろう。

いつか『震災があったからこそ』と思える自分に

その言葉が自分を奮い立たせてくれた。

起こった現実は変えらない。

その方のお母さまや僕の姉が亡くなった事実は変わらない。

だけど、大事なのはここからどう生きるのか、という未来。

『震災があったからこそ』なんて

今はそう思えなくてもいつかそう思える自分になろう。

そう思えた。 


あれから13年。

今もあんなことが起こらなければ、という想いは消えない。けど、いつか震災があったからこそと思える自分になりたい。という想いは消えていない。


終わり

最後まで読んで頂いてありがとうございます

↓のイベントでもちょこっと出演してお姉ちゃんが教えてくれたことのお話ができたらと思います。興味あれば是非。

5月19日杉浦貴之トーク&ライブ(香川) 


ゲンちゃん