判例タイムズ1519号で紹介された判決です(東京地裁令和5年1月25日判決)。

 

 

本件は、国会が婚姻中の一方親による他方親の同意を得ない未成年の子の連れ去り(引き離し)を防ぐための立法措置を正当な理由なく長期にわたって怠っていることにより自らの親権、監護権等が不当に制約され、精神的苦痛を受けたなどと主張して国家賠償を求めたという事案です(請求棄却)。

 

 

【判旨】

・親権には、子の居所の指定、懲戒、職業の許可、財産の管理などが含まれる(民法821条~824条)。親権の行使は、子の監護及び教育を通じて次世代の人格の形成や発展に寄与する営みであり、かかる営みは、子の人格形成のみならず、親権者自身の自己実現にも資するものということができる。その意味で、親権は、子の出生により当然に行使し得るものとして、自然権に類似する側面を有することは否定し難い。
・しかし、親権の行使は、いずれも、子の利益のためにされなければならず(同法820条、834条~835条参照)、そうであるからこそ、親権は、権利であると同時に親権者の義務であるとされているのであって(同法820条)、例えば、信教の自由(憲法20条1項)が宗教を信仰する自由を保障するのと同時に、信仰しない自由を保障しているのと異なり、親権については、これを行使しないという事態は、原則として許容されていない。そうすると、親権は、本来的には、親権者に対して子の利益となる監護及び教育を行わせるという、いわば利他的な行為を要求し、その中で、監護及び教育の内容等について一定程度の裁量を与えたものにすぎないといえ、上記のとおり、その営みが親権者自身の自己実現にも資するものであって、単なる機械的な利他行為にとどまらないという点を考慮したとしても、憲法上の他の人権とは性質を異にするものといわざるを得ない。このような性質を有する親権が、憲法上保障された基本的人権であると解することはできない。

 

・リプロダクティブ権は、主として性及び生殖に関する自己決定権を意味する用語であり、第一次的には、子の出産に焦点を当てた権利であると解される。これが人の幸福の源泉となり得るとしても、出産それ自体と子の連れ去りとの関連性が乏しく、本件立法不作為によってリプロダクティブ権が直接制約されているとはいい難い。
・なお、子を産むという点のみをリプロダクティブ権の対象とし、出産に引き続く子の養育をその対象外としたのでは、性及び生殖に関する自己決定権の保護として不十分であるとして、リプロダクティブ権には、出産に関する事項に加え、第二次的に、子の養育に関する事項も含まれていると解する余地もある。しかし、そのように解したとしても、リプロダクティブ権のうち子の養育に関する事項は、親権、監護権及び教育権の内容と実質的に重なるものであり、親権、監護権及び教育権が憲法上保障されるといえないことは、のとおりである。
 そうすると、リプロダクティブ権のうち、出産に関する事項は、本件立法不作為によって制約されている権利であるとはいえず、養育に関する事項は、憲法上保障されているとはいえない。

 

・面会交流をどのような内容及び方法で実現すべきかについては、子の利益ないし福祉に配慮して検討されるべきものであって、その観点から、面会交流を全面的に制限すべき場合もある。このような性質に照らすと、面会交流権の実質は、それが親自身の自己実現にも資するものである点を含め、親権、監護権及び教育権の内容と重なるというべきである。そして、親権、監護権及び教育権が憲法上保障されるとはいえないことは、前記のとおりである。

 

・憲法14条1項は、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り、法的な差別的取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべきである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁等参照)。子を連れ去られたとしても、その時点における法的地位には何ら影響がなく、前記の権利を法的に主張又は行使し得なくなるわけではないから、子を連れ去った親との間で法的な差別的取扱いがされているということはできない。

 

 

別居親の面会交流権が憲法上保障された権利といえるか | 弁護士江木大輔のブログ (ameblo.jp)