判例時報2485号で紹介された事例です(東京高裁令和2年8月13日判決)。
本件は、婚姻中に別居しまたは離婚して、未成年の子どもと別居し暮らしている別居親が、憲法上保障されている面会交流権の権利行使の機会を確保するための立法措置がなされていないのは国会が必要な立法措置を怠ったためであるとして国賠請求を起こしたという件です。
別居親が子どもと面会交流することが下記の憲法上の各条項や児童権利条約によって保障された権利であるかが争われました。
憲法
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
② すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
憲法26条との関係につき、判決では、子が教育を受ける権利を規定したものであって、親の子に対する監護養育が憲法上保護されなければ、子の教育を受ける権利が保障されないとはいえないとして、子のが教育を受ける権利から別居親の面会交流権を導こうとした主張につき排斥しています。
児童の権利に関する条約
第9条第3項 締約国は、児童の最善の利益に反する場合を除くほか、父母の一方又は双方から分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重する。
憲法
第98条2項 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
児童の権利に関する条約9条3行は上記の通り定めており、憲法98条2項は条約の遵守義務を定めているところ、判決では、条約の当該条項はあくまでも子の面会交流を定めているもので、別居親の面会交流の権利を定めたものであるとする主張を退けています。
憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
いわゆる幸福追求権を定めて憲法13条との関係について、判決では、面会交流の法的性質や権利性について議論があり、別居親の権利であることが明らかであるとは言えないとしています。
憲法
第24条2項 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
憲法24条2項との関係につき、判決では、別居親と子の面会交流について民法766条により子の利益を最も優先して父母の協議で定めるものとし、協議により定めることができないときは家庭裁判所がこれを定めることとしているとされており、別居親は家庭裁判所に対し面会交流を求める審判を申し立てることができ、面会交流が命じられた場合にはその給付の特定にかけるところがないのであれば間接強制をすることができるのであるから、このような法制度は個人の尊厳と両性の本質的平等に照らして不合理であるとは言えないとしています。
以上の通り、本件における別居親の主張は悉く退けられてしまったわけですが、面会交流が子どもにとっての権利である以上、その実現のための具体的な制度設計がされるべきことは当然であろうと思われます。
抽象的に面会交流の権利があるとかないとかいったところであまり意味がないわけで、子どもが会いたいと思ったときに気兼ねなく会えたり連絡が取れたりするような仕組みを作ることは子どもにとって必要なことであり、そのような制度がしっかりと確立されていないという現状については国としてもしっかり認識して取り組まなければならないも問題であろうかと思われます。