ボールを蹴って走るのが好きな子なのですが、ボールを追いかけている最中に、横から走ってきた見知らぬ女の子とぶつかってしまいました
女の子はまだ年長さんくらいか小学生低学年くらいの子で、ぶつかったのは中学生男子。そりゃもちろん女の子吹っ飛びました
幸い怪我はどちらもなかったので、ひとまずひと安心
で、ここからが本題で。
私は支援者なので、事故報告書を書くわけですが…
対策について悩んでしまいました
公園内を体の大きな中学生が全力で走っては危ない。
重度の知的障害があるので、危機回避能力も弱く、視野も狭い。人に対して配慮はできない。
これが小学生低学年ならまだいいのですが、体が大人と変わらないくらい大きくなってしまうと、事故や危険も大きくなってしまうので、より注意が必要です。
案として、挙がったのが、
人の少ない公園を探す
走らない活動を考える
……
その対策内容はともかく、公園で好きなことをして走っているだけなのになぁと切なくなってしまいました。
私は知的障害の方と関わっていて、私にはない発想だったり見え方だったり感じ方だったりを知ることが楽しいと感じます。
自由さを羨ましくも思います。
だから、それを制限をしなければいけないことに悲しくなります
そして、同じようなことを昔も思ったなぁと思い出していました。
私が大学1年生の時に、5日間、知的障害児通所施設(現在の児童発達支援事業施設)にボランティア実習に行きました。
その当時は障害児に関わる仕事をしたいと思っていたわけではないけど、興味があったから障害児支援施設を選びました。
そこでトイレ介助に入った時に、女の子がトイレットペーパーをたくさん引っ張り出す場面に遭遇しました。その時、私は何も考えず途中で切ってしまったのです。
そしたら、その女の子がパニックになって大泣きしてしまいました
その時に先生が
「この子たちはこだわりがあるけど、社会に出たら何でも受け入れられるわけではないのだから、上手くいかないことにも慣れていかないと」
と話してくれました。
そのことがひどく悲しくて、子どもたちがお昼寝中に雑巾掛けの業務をしながら泣きました
その時に何をどうしよう、何を目指そうと明確に思った訳ではないのですが、後にその出来事が、私が知的障害のある方と関わる仕事をしたいと思ったきっかけであったなと思います。
私はその人がありのままに自由に楽しく過ごせるといいなと思っているのだと思いました。
発達の支援は大切です。
でも、それと同時に、その人の好きな気持ち、やりたいこと、楽しいこと、笑顔を尊重したいとも思うのです。
生活の質、気持ちの安定も大切です。
私はその人がその人らしく笑顔で過ごしてほしいです。
でもでも、好きなことが周りの人や環境と合わなかったら……ですよね
悩ましい問題です。