『聲の形』 | 自分のままでのびのび楽に 性質を知って自分を知る 相手を知り寄り添う関わりを ケアする人凸凹さんを楽にしたい

自分のままでのびのび楽に 性質を知って自分を知る 相手を知り寄り添う関わりを ケアする人凸凹さんを楽にしたい

社会福祉士で知的障害者生活支援施設→現在発達凸凹さんゆっくりさんの児童デイ勤務。性質を知って、心に寄り添う関わり方で、セルフケアで。支援する人、子育て・家族のケアをする人が楽に、ゆっくりさん凸凹さんが自分のままでのびのび。

前々からマンガは気になっていたのですが、先日テレビでアニメ映画を放送していたので観てみました。

聴覚障害の女の子が出てくることで、障害について取り上げられたものかと思っていましたが、実際は、聴覚障害は物語の要素であり、主軸は違う所にありました。
人間関係とかいじめとか友達とか…と書いてしまうとよくある青春物語みたいなんですが、なんだか深くてびっくりしました。


いじめは悪。
それはもちろんそう。
だけど、そういうことを描いているのではなく。

主人公の将也は、いじめの加害者からクラスメートに裏切られて被害者になり人と関われなくなる。バイトをして、昔怪我をさせた子への賠償金として母親が払ったお金を貯めて返す。手話を覚えてかつていじめた硝子に会いに行く。
小6の時になぜ将也が硝子をいじめ出したのか、将也の心情がよくわからなかったのでなんとも言えませんが、その後の行動から将也は十分に反省した、むしろ後悔して傷ついていると思えました。
将也と硝子は5年後に再会して交流を重ね、小学校の同級生とも再会して、新しい友人たちとも関係を築いていくのですが、昔のことはどうしてもつきまとってきて、上手くいきそうだった現在に影を落としていきます。

後半はとても心がざわざわして揺さぶられて痛くて涙が止まりませんでした。

いじめの加害者だった主人公が、被害者になることで、人との関わりを怖がり避けるようになる。
イライラするような価値観や言い方をする子がいる。
声高にいじめはだめと叫び、加害者を糾弾する人がいる。
いじめる側にも理由があるとは言いたくないけど、気持ちがあるのだということを伝える場面があります。

結局、登場人物たちは、自分の言葉を一方的にしゃべっていて、相手の話を聞くことや対話ができていないため、ズレが生じてどんどん大きくなっていったように感じます。
コミュニケーション。
それが聴覚障害とリンクしているのかとも感じました。

お互いのことを知って、顔を合わせて対話をして、気持ちを交換し合う。
人と深く関わることは怖いことでもあるけれど、生きていく中で大切なこと。
大人になり、人と深く関わろうとすることが減った私には、高校生の必死さが清々しく、眩しく、とても重く響きました。