個人としての子どもの権利 | 自分のままでのびのび楽に 性質を知って自分を知る 相手を知り寄り添う関わりを ケアする人凸凹さんを楽にしたい

自分のままでのびのび楽に 性質を知って自分を知る 相手を知り寄り添う関わりを ケアする人凸凹さんを楽にしたい

社会福祉士で知的障害者生活支援施設→現在発達凸凹さんゆっくりさんの児童デイ勤務。性質を知って、心に寄り添う関わり方で、セルフケアで。支援する人、子育て・家族のケアをする人が楽に、ゆっくりさん凸凹さんが自分のままでのびのび。

先日読んだ記事に、他の先進国に比べて、日本は子どもは親の所有物だという考えが強いと書いてありました。

数十年前には親子心中が多かった。それは親が子どもを残して死ぬのはかわいそうだからという考えだけど、子ども自身の生きる権利を踏みにじっている。
現代は心中は減ったけれども、虐待が増えている。
極端に言えば、親のストレス発散方法が自分から子どもへ変わったに過ぎない。
親の虐待は最終的には親の大変さに寄り添うことが言われる。
確かに親も大変かもしれないけど、それと子どもの権利は別物です。
親の大変さには寄り添う必要があるけど、だからって子どもの生活や気持ちや命が脅かされていいものじゃない。
でも、子どもは親のものだから、家庭のことには踏み込めなくて、結果後手後手に回ることになる。
「私の子どもなんだから他人がとやかく言わないで。あんたは関係ないでしょ」とはよく聞くセリフだけど、子どもは親の人形でも自己実現の道具でもない。親は奢りすぎだと思う。

子どもは親がお腹を痛めて産んで苦労して育て扶養している存在であるけど、親のことは抜きにして、子ども自身の人としての権利を考えることが必要である。
子どもを個人の人間として扱うような考え方に変わらなければと思います。