人生では恨みを捨てるということが大切だと思う。
私はタイに来て鬱病になって苦しんだ。
今までやったことがない範囲の幅広い仕事を任されて、その責任は全て自分の責任。
30年も前の過ちの是正を任されて、それも今まで人事をしていた人間が建築の業務を任されてどうやって是正するのか、業者とどう対応するのか、行政とどう交渉するのか、といった問題もあった。
これは一例だが、過去累積した問題を赴任してすぐに改善し続けた。1年で20近い規程改定をした。
そんなことを続けていたがミスやトラブルが続出した1週間に1つはトラブルが発生した、チラーが止まるから生産出来なくなる、蛇が絡まって停電が起きて生産が止まる、事故で社員が亡くなる、社員が犯罪行為をして垂れ込みの電話が入る、一つずつ分からないながら対応してきた。
だが上司からは注意され続けてきた。メールの文面、てにをは、返事の言葉遣い、報告の仕方、飲み会の立ち位置、飲み会の喋る話題、読む本など。
そんなことを続けるうちに、自分が何をしているのかよくわからなくなり、眠れなくなり、何も楽しく感じなくなった。ある日会社で目眩が起きて、本当に限界を感じて病院に行って鬱病と診断された。
それからは気分安定剤、抗鬱剤を飲みながら仕事を続けた。タイの病院の面白いところは日本と違って休職の診断を出さずに、そのまま仕事を続けさせるところだった。
薬を飲みながら、副作用で頭がぼーっとするときもあったが、仕事を続けた。
自分の中では会社に鬱病であることを告げて、仕事の限界であることを伝えたことで、今まで仕事が全てという、仕事にプライオリティをかけていた人生を手放す機会になった。
仕事よりも大切なことがあるという価値観をしれたのは病気になったおかげだと思う。
それでも今でも、なんでこんな環境に引継ぎもなく放り込まれたのか、なんでこんな上司のところにあてがわれたのか、なんで過去の問題を放置してなすりつけられるのか、なんで組織作りをしっかりせずにそのままにしてきたのか、多くの恨み言を言いたくなる時がある。
でもそれは言っても仕方がないこと。
順風満帆な人生はないし、良いことばかりの人生もない。
トラブルがあるのは、うまくいかない時があるのは当たり前。
それを理解しながら、おきたことに恨み言を言わずどうすれば良いのかを考えながら前に進むことが大切だと思う。
あの人が悪い、会社が悪い、部下が悪い、言うのは簡単だがそれでは何も進まない、どうしても赦せないことを、どれだけ赦せるかが、その人の度量であり、人としての器ではないかと思う。
そして、自分に対することは赦し、人に対すること、人の苦しみに対して許さず、動ける人は強い人なのだと思う。