”意”ってやつですね。
昔の人は最新の脳科学並みのことを考えてますよね。
1:40あたりのお爺さんが私の師父 故 王映海です。
考えたら遅い…ってなんだ。
打とうと思ったらダメだ的なことは戴氏心意拳の中にもちゃんとあります。
カリキュラム的には
最初は”考”→”意”→”神”となるみたいです。
流派によってずれはありますが、大体こんなところ。
”考”は考えて技を出すレベル。(最初はみんなこれで良いんですよ)
次はこの技を出してやろう!とかこう言う風に立ち回ろう!とか考えていると、このレベルだと言う事になります。
”意”だと次は何の技を出そうとか考えないレベル。(上手な人の多くはこのレベルむしろ中級者から上級者の9割はこのレベル)
相手からの攻撃を受けても素直に技を出して返していける感じでしょうかね。
”神”だと、それ以上に卓越された技や反応速度でいわゆる達人的なものとなります。匠の技ですね。(超上級者 やることなす事、言う事の意味が中級者とはちがいます。)
私もそんなレベルになって見たいものですよ。
掌友会の代表はそんなすごい人間じゃ無いけど、戴氏心意拳は凄い武術だよ。
中国伝統武術 掌友会