現在の兼六園の基となる整備を行ったのが、十一代藩主前田治修(はるなが)です。1774年、千歳台から取り入れた辰巳用水を利用して、曲水を設け、石橋を架けて、菖蒲を植え、翠滝、中嶋の御亭、高の御亭などを造営しました。その後、観馬亭(のちの内橋亭)や瀧見之亭(夕顔亭)などが設けられました。次いで、十二代藩主斉広は滝沢御殿を造営して、隠居した後に、自らそこに移りました。滝沢御殿の部屋数は二百以上にもおよび、能舞台も備えられた大変豪華な屋敷です。斉広は、時の老中松平定信に蓮池御庭の命名を依頼して、松平定信は「兼六園」として斉広に届けています。「兼六」とは文字通り、六勝を兼ねた庭の意味です。庭園の特徴とされる、広大、幽隧、人力、蒼古、水泉、眺望の六つが共存した、それらを兼ね備えている名園が「兼六園」という最大の賛辞です。※写真の庭はイメージです。納富2
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