自我と自己 | こめじるしるーむ

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私として生きる


やあこんにちは!早紀です!!


若干、活字中毒になっているんじゃね?バリに本ばっかり読んでいます。
夜寝る前、休憩中、朝起きた後、本を読みます。
本を読んで何になるとよく言われますし、私も思っていましたが、
・・・本ってすごいですね。

数分で価値観がガラリと変わったり、よく考えたらどこぞの大学教授の話が数千円で読めたり、
とてもありがたい情報源だな。と、今では感じています。
一日ずつ実践していく形式になっていくものなどもあり、
凄いものだなぁと思うばかりです。

私が読むのは形而上学とか哲学とかスピリチュアルと言われている分野の本ですが、
やはりその中で多く語られているのが「自我と自己」です。

そんなこんなで色々と学んだ上で、この2つを分けてみました。
その一部を掲載してみます。


自我(エゴ、小我)

自己(愛、大我)

視野が狭い(自分の知っている事が全て)

視野が広い(世界の大きさを知っている)

不足した状態が通常であると思う

満ち足りた状態が通常であると思う

愛は他者から貰うものだと思っている

自分が愛であることを知っている

行動(何かをしなければ)主体

あり方(存在する事が大切)を重視する

全ての行動に条件が付いている

行動は喜びから来るもの

何かを否定し続けている

何も否定しない

自分とは違うものを攻撃する

自分とは違うものに愛を示す

神(全)と自分は違うと思っている

神(全)の一部であるとする

全てにおいて競争を行う

それぞれのペースを尊重する

他人と見比べる、他人の目を気にする

個性を尊重する、他人を慈しむ

自分は罪を背負っていると思い込んでいる

自分は何も背負っていない事を知っている

裁かれる事を恐れ、誰かを裁く

尊重されている事を知っており、尊重する

自分に執着している

自分に執着していない

周りが自分を苦しめていると思っている

周りは自分の仲間であると知っている

この世は苦しみで成り立っている

この世は喜びで成り立っている

誰かの犠牲が必要だと考える

犠牲は一切必要ないと知っている



ごく一部ですが、纏めてみました。
分かりやすくする為に分けたつもりですが、
この分けるという行為自体も自我のものかもしれませんね。

…こうしてみると、自己にあるのは私たちの”理想”であることが見えてきます。
理想を追い求めるか、それとも理想を蹴散らすか…そのどちらかだと思います。

自己は既に私たちの中にありますが、殆どかすれて見えにくくなっています。
物凄く汚れたメガネをかけているような状態です。そしてその汚れが自我(エゴ)です。
嫌悪するのではなく、ふき取るか、メガネをはずしさえすれば、自己が見えてきます。

私たちの頭は、一度”こうだ”と決めつけてしまうと、
ずっと”こうだ”から抜け出せなくなってしまいがちなところがあります。
ほぼ全ての思考と行動が、習慣化されたパターンから生み出されています。

否定や批判は、間違いなく自分の中にある信念との比較により生まれています。
自己は信念を持っていないので、批判するのは全て自我の働きですが、
それが当たり前となっている自分を変えるのは、易しい事ではないと思います。

スピリチュアルな方法で人生を変えようとする試みは、
大半がこの自我から自己への変換プロセスを示しています。
ですが、自我の願望を満たす事に使用してしまっている部分が沢山あります。
宗教を権力の為に使っていたその癖が、まだ残っているのかもしれません。


此処に掲載したのは絶対的な真実であるとは思いませんが、嘘であるとも思いません。
大切なのは、私たちがこの両方を保有していて、どちらで生きるかの選択を行う
権利(力)を持っていると言う事です。

自分はどちらで生きたいか。それを自分の胸に訪ねる勇気が、
最初の一歩かもしれません。





- - - - - - - - - - - - 全ての命に愛を… - - - - - - - - - - - - - - - 

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