世の中って繰り返してますよね。
昔、私が見た夢のお話。
「幸せ」を目指して進んでいました。
その歩みはまさしく人生そのものでした。
産まれた時がスタート地点。そこから成長していって、色々な人に出会い、
その人たちと一緒に「幸せ」に向かって走っていました。
その夢の中で、私は小さな頃に大人から踏みつけられていました。
その大人もまた、「幸せ」を目指して走っているようでした。
傷だらけのはずですが、出会う人に「気のせい」と言われた私は、
「人の意見が正しい」と判断し、体を引きずって走り続けます。
ですが途中で走れなくなります。
年齢的には10代後半でしょうか…その時点で私は泣きじゃくります。
不安定で、否定されたはずなのに体が痛くて痛くて仕方ありません。
それでも、周りから「気のせい」と言われるので、私は再度足を踏み出します。
ですが、私の足は消えていました。傷が進行して、動けなくなっていました。
とうとう動けなくなった時、夢の中の私がした事は周囲を見ないという行為でした。
周りを見ない。何も見ない。ただ、自分だけを感じるという事を行いました。
私は私に集中した事で、自分の歩んできた道を全て見渡す事に成功します。
他から言われた事では無く、自分が体験した事を自分で思い出し、自分で判断します。
それが済んだ時の開放感は素晴らしいものでした。
その時同時に、とても遠いところまで見渡す事のできる眼を手に入れます。
見た光景は、これまで思っていた道とは全く違っていました。
ゴールを目指しているはずなのに、私が走っている道は「0」になっていたんです。
ようは、ゴールが無いんです。
その道には数多の人がいました。
必死で、「幸せ」に到達する為に走り続けている人たちが大勢いました。
「幸せ」に到達したと思ったら、濁流に流されてスタート地点に戻ります。
永遠にそのループです。
私が一番良かったと思うこと。
それは、私自身が、私が受けたような傷を子供につける事が無くなった事。
あの時、自分の時間を設けていなかったら、私は子供を踏みつけていたかもしれない。
「自分の幸せ」しか見ていなかったから、下を見ていなかったから、小さな可能性を潰していたかもしれない。
前だけを見る事で、産まれる傷なんて必要ない。
他を踏みつけて進むこの道に、本当の「幸せ」があるとは思えない。
夢の中で、0の道の右側に、より栄えた土地が存在していた。
そこへ移ろう。
0の道から脇道が沢山出ているから、それを探し出してそこを渡ろう。
そこへ行く方法は…意外や意外。
止まり、観察し、待つ事。
ま、夢の話ですけどね。
- - - - - - - - - - - - 全ての命に愛を… - - - - - - - - - - - - - - -
KOMEJIRUSI *ROOM
←ショップはこちらから
のスピリチュアル勉強会(偏ってます)は ここ
から。
人気ブログランキング ブログ村 哲学・思想ブログ FC2 Blog Ranking
ありがとう