前回、誰かの犠牲の上に成り立っていることは、 とても不安定で「取り繕っている」だけ・・・
というお話をしました。
その場面では、お互いの気持ちが見えていることもあしますね。
という気持ちがあれば、
「無理をさせてごめんね。」
とか、
「学校まで送ってくれてありがとう。」
という会話のやり取りがあると思います。
その一言で
ちょっと「私」が頑張ったら上手くいく
ちょっと「私」が我慢すれば・・・。
という思いは報われますね。
でも、それが頻繁になると、
やってもらって当たり前という
暗黙の了解のルールが出来上がってしまいます。
(見えないこと)
ちょっと「私」が頑張ったら上手くいく
ちょっと「私」が我慢すれば・・・。
の気持ちは、報われないままいつしかマヒしてしまうのです。
(見えないこと)
もう少しわかりやすい例を出すと・・・。
食事をするときに
「いただきます」
「ごちそうさま」
は、学校でも教えられるため、言葉にしますが、
掃除や洗濯など、家事をしてもらって
「ありがとう!」
毎日当たり前のように繰り返されるために
お互いが無意識のうちに
我慢させてしまったり、我慢してしまっているのです。
誰かが自分のために時間を割いてしてくれている事を
忘れないようにしたいですね。
|