8月京都の続きと、京都の父逝去…。 | ☆エクボの笑顔☆ 小6で亡くなった息子と共に…。

☆エクボの笑顔☆ 小6で亡くなった息子と共に…。

元気いっぱいだった次男が突然お空に。

両エクボがかわいかった次男のこと、
片方にエクボがある長男のこと、
2019年秋からマレーシア赴任となった主人のこと。
私自身もエクボの笑顔になれるような日常のこと。

ご挨拶等不要ですので気軽に出入りください^_^



三井ガーデン京都河原町浄教寺で朝食を美味しくいただき、







また四条河原町〜祇園、八坂方面をぶらぶら。




暑すぎて、



八坂神社近くのお店でかき氷。



その後、栄西禅師開山京都最古の禅寺、建仁寺へ。

俵屋宗達の風神雷神図屏風を所蔵することで有名なお寺。







素晴らしい襖絵の数々。

芸術を堪能できるお寺でもあります。









写真撮影OK。


最近のものではありますが、2002年に創建800年を記念して描かれた、

法堂の天井画 双龍図 は圧巻でした。



そして京都駅で遅めのお昼食べたり、買い物して

横浜へ。



コロナ禍で京都の父とは結局リモート面会しかできないまま、

主人もまたマレーシアへ戻ることになるんだろうなと思って過ごしていた10月初めのある朝、

義母から私のスマホに電話が。

看護師さんとも変わり、

看護師さんから、

義父の血圧低下がひどく来れるなら今日来ていただいたほうが良いとのことで、

心臓ばくばく。

主人も午前中のWeb会議中でしたが、

私の電話応対でただならぬ状況を悟り、

2人で大慌てで身支度してとにかく新横浜へ急ぎ、

のぞみに飛び乗り、

お昼過ぎには病院に。


流石に、リモート面会ではなく会わせてくれましたが、

それでもひとりずつ5分だけ😭


痩せ細った姿を目の当たりに、

主人がマレーシア赴任後、

父が脳梗塞再発で倒れる少し前の2020年の1月にひとりで京都帰省して、

その時いつも以上にたくさん語ったことなども思い出し、

優しい言葉をたくさんくれたことも思い出して、

涙がボロボロ流れながらも、

身体に触れながらお礼を伝えていたら、

指をすごい強い力で握ってきてくれて、

目を開けたまま反応できないながら、分かってくれてるんだなあと。


久しぶりに最愛の妻や、

私たちや大阪の姉などと実際に会わせてもらえて、

それなりに父の力になったのか、

また少し安定して、

そんなこんなの繰り返しで年内もつかもたないかなのかなとみんなで覚悟を。

主人はこの時、

もうこれが本当に最後で、

葬儀にも出られないかもしれないという気持ちで

父親との短い時間を過ごしたんだと思います。

私達も5分だけの2日間、面会でき、

いったんまた横浜へ。




しばし、反応は薄いけれど安定したまま過ごしていると母から聞きながら、

主人もマレーシアや本社の人達とのリモートワークに忙しく追われながら、

マレーシア政府からの再入国許可期限数日前の

17日に、

首都クアラルンプール経由でマレーシア•ペナンへとまた戻って行きました。

そして、

18日に無事ペナンに到着し検疫も終えて、

会社ドライバーさんのお迎えで10日間の自宅待機へ。

(ワクチン接種済みだとホテルじゃなくて良くなっており)

5か月のリモートワークでずっと家で一緒だったので、

私もまた急に寂しくなったながらも、

安心したその日の夜、

京都の父が亡くなりました。



入国隔離中の主人はもちろん動くこともできず

悔しく辛いことだと思います。

翌朝私は最寄駅始発に乗り、

6時過ぎののぞみで京都へと急ぎました。


その後、長男もしっかりと主人の代わりであれこれやってくれて、

喪主は義母でしたが、

挨拶などは私で、

無事、お通夜と告別式も終えて、

私は京都の家に残り、しばしできる手続きなどをしておきながら、

義母との時間を過ごしました。


葬儀後一緒に過ごす中で、

ふと義母が

招待はがきがきてたしこれを食べに行こうと、

2人でぶらり河原町へと出かけて、

ランチをしました。

前夜、

祭壇前で語りかけながら、

わんわん泣いてた母、

私はリビングにいて夫婦2人だけにしてあげていましたが、

泣いてまた少し心落ち着けたのかなと。








この時ちょうど高島屋前で吉村大阪府知事が

京都遠征しており応援演説を。




身軽ではあるので、

10月いっぱいいてあげても良かったのですが、

実母の秋冬ものを届ける予定のまま京都へかけつけていたので、

もうひとりの母親のことも気になっていて。


ある意味、実母が家にいたら、

早朝急いでかけつけたり、

お手伝いしたりが、

自由にできなくて大変なことになっていたので、

タイミングとしては結果良かったのかなと。



葬儀後いきなりひとりになっていたら、

どうなるかわからへんかったし、

いてくれたからだいぶ心も落ち着けたわとのことで、

2年前に親3人は任せろと主人をマレーシアへ送り出しましたが、

それなりに私でも役には立てているのかなと。


また11月半ばに京都の社会保険事務所と遺族年金手続き予約をいれたりもしているので帰省して、

あれこれ手伝いと、法事と、

ゆるりとした義母との時間を過ごしてこようと思います。


あ、横浜へ戻る日に、

私が向かった先は反対方面の梅田。

リニューアルされた阪神百貨店を見たくて。



まずは阪神タイガースグッズコーナーへ行き、

そうまにもあれこれを。


(いかーーんブログ書いてたらこの頃はまだ優勝の期待を持っていただけに、

いろんな悔しさがでてきた)




地下の美味しそうなものなどを見て、

ルクアの比較的空いていたフードコートでお昼を。


この日の梅田は日曜日ということもあってか凄い人ごみで、

横浜や東京でも繁華街や土日など密な場所は避けて過ごしていたので、

久しぶりに人の多さにも酔い、

亡くなった電話を受けてからのいろんな疲れも出てきて、

そして、急に義父が亡くなった寂しさとか、

そうまの時のことまで生々しく浮かんできて、

梅田の街に埋もれてしまいそうな不安感に襲われながら、

なんとか新大阪へ行き、

駅でレモネードと安定剤頓服を飲んで休んでいたら、

また落ち着き無事のぞみに。






そんなこんな心身ともにバタバタな10月でした。


支離滅裂気味の書き記しになってしまいました。


主人は父親の最期を見送ることはできなかったけれど、

少しでも実際に会えてよかったです。

本当コロナというもののせいで、

いろいろ悔しいことは多いですが。

一番悔しくて悲しくて寂しいのはとても夫婦仲が良かった母だと思うし。



内輪の訃報話をしてしまったので、

次回は楽しいひとり旅記事でも書こうかと思います。