冬至の頃に思い出す 受験生時代に学んで意外と役立ったこと | 自分大好きな人の頭の中

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私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

明日は冬至だ。

 

冬の夜明けは遅いから、

 

ゆっくり朝を迎えることができる。

 

夏の夜明けは早いから、

 

夜明けを見ようとするとものすごい早起きになっちゃう。

 

冬は夜が長いし、一等星も多くて夜空が賑やか。

 

この間はふたご座流星群があったよね。

 

高校時代は天文部の仲間たちと、

 

寒い中流星観測をした。

 

部活を引退した受験生の冬も

 

寒い中ころころに着込んで

 

あたたかいマグを両手で持ったまま

 

よく夜空を見上げていた。

 

夜明けを見に、空の広い場所まで散歩に出たりもした。

 

なかなか今はできないけれど、

 

それでも冬の夜と夜明けは好きだ。

 

 

 

冬の夜で印象に残っているのは、

 

その受験生のときのこと。

 

普段は早寝の私でも、受験生の1年間は

 

それなりに遅くまで勉強をしていた。

 

夜食は食べないけど、お腹は空くし、

 

集中力が続くタイプでもないから、

 

質のいい勉強時間を確保するためには、

 

工夫が必要だった。

 

塾や図書館の自習室など、

 

みんなが頑張っている環境だと

 

より集中できるという人もいるし、

 

カフェなどの適度な雑音が

 

勉強にちょうどいいという人もいる。

 

私の場合は、自宅で無音というのがベスト。

 

人がそばにいない方がいい。

 

疑問を解決するのは、

 

先生に質問するより解説書の方がいい。

 

受験生時代の自分の勉強スタイルを探す試行錯誤も、

 

自分がどんなタイプか知るいい機会だったと思う。

 

 

 

そんな私は、塾には行かず通信教育がメイン。

 

模試や夏期・冬期講習だけは受けに行った。

 

だから、ほとんどが自宅学習だった。

 

昭和の勉強机はごっつくて、

 

椅子も出し入れしにくくて。

 

深くて大きな引き出しが微妙に扱いにくくて。

 

(今でも何を入れて使うことを

 

想定されて作られたのかわからない)

 

そんな自分の机で、長時間過ごしたことになる。

 

 

 

あのときに受験勉強で学んだことで、

 

今でも身について残っている知識で役立ったのは

 

何かあるだろうか。

 

高校数学レベルの内容は、仕事ではあまり使わないし、

 

英単語も古語もほとんど忘れてしまった。

 

やっぱり使わないとだめだね。

 

でも、万葉集や古今和歌集を読むのは今でも好き。

 

とても珍しいことに、センター試験時代に

 

倫理選択でも良い大学が第一志望校で、

 

日本史も世界史他が受験には必要なかったから、

 

あまりやりこまなかった。

 

とはいえ、現代社会に生きる大人の教養として、

 

日本史・世界史・地理・政治・経済は

 

今からでももう少ししっかりと

 

復習しておきたい気がする。

 

 

 

ちなみに、私が選択したこの倫理という教科が、

 

私にとっては卒業後一番役に立ったかもしれない。

 

倫理では、哲学や宗教、風土など、

 

人の考え方についてさらっと学んだけど、

 

それが、ものを考えるときの材料やヒントになった。

 

「なんで自分はそう感じるんだろう?」って

 

自分の中の違和感や感情について知りたいとき、

 

この世界の様々な人間の思想や思考に

 

さらっとでも触れておくと、

 

ちょっとでも自分の世界が広がるから。

 

当たり前だと思っていたことも、

 

その成り立ちを知ると「そうでもないな」に変わる。

 

だれが何の目的で広めた価値観なのかわかると、

 

その価値観を自分に取り入れたいかどうか

 

自分で選べるようになる。

 

だから、受験が終わっても、

 

高校倫理で扱うような内容に関する

 

わかりやすい本を見つけたら

 

読むようにしていたよ。

 

大学では、心理系の講義もとっていたしね。

 

あとは、小論文の勉強が大学入学後に役立ったかな。

 

 

 

冬至の頃に思い出す、

 

ふたご座流星群と受験勉強の机の上の出来事。

 

これも、大好きな今の私自身につながる

 

大切な記憶なんだろうな。

 

自分で選んだ大学に、自分で選んだ科目で挑むのは、

 

なかなか刺激的でいいものだよね。

 

自分で生きたい場所を選ぶために、

 

その力を自分につけてあげられるように頑張るのは、

 

受験が終わったあとも同じ。

 

生きる場所を自分で選べることは、

 

一人の人間の尊厳にかかわる大切なことだから、

 

受験という経験も、何一つ無駄じゃないと思う。

 

だからこそ今この瞬間にも、

 

頑張っている受験生の子たちの未来が、

 

どうか明るいものになりますように。