青春と感じるもの | 自分大好きな人の頭の中

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私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

青春だったと感じるものには二種類あって、

 

その真っただ中にいる瞬間にも

 

「今が、いわゆる青春なんだろうな」と感じられるものと

 

後から振り返ったときに

 

「あぁ、あの時間は確かに青春だったのかもしれない」と

 

感じられるものがあると思う。

 

自覚のある青春は、やっぱり学生時代で、

 

部活仲間と過ごす特別な時間や、

 

大人にとっては他愛のないことでぐるぐる悩んだりしたこと、

 

今なら平気なことが、どうしても気になったこと。

 

肥大する自意識に、

 

思い出せばちょっと恥ずかしいことも含まれるような、

 

少し苦くてくすぐったいような思い出になっている。

 

 

 

私が驚いたのは、意外と大人になっても後から

 

「もしかして青春だったのかもしれない」と

 

感じる時期があるということだった。

 

就職してすぐなんて、

 

まだ学生と地続きな部分があるし、

 

同期との関係性はまさにそんな感じだった。

 

私は転職を何回かしているから、

 

もはや同期と呼べる人は誰もいないけれど

 

初めての仕事・初めての同期の子達との記憶は

 

やっぱり鮮明だ。

 

 

 

学生時代や、新卒時代の写真を見ると、

 

仲間と一緒に、自分もいい顔をして写っている。

 

誰かと似た境遇で、共感できるものがある人がそばにいると

 

やっぱりどこかで安心するよね。

 

その後、人生はみんなそれぞれのものになって、

 

どんどんばらばらになっていくけれど

 

誰かと共感しながら一喜一憂できた思い出は

 

確かに、不安定な時期の成長の支えになった。

 

 

 

結婚して、出産しても、

 

同じような夫がいる人もいないし、

 

経済的に似た家庭も

 

子どもの性質が同じような人も

 

そんなに出会えるわけじゃない。

 

簡単に自己開示しなくなるし、

 

簡単に相手の情報も欲しがらなくなる。

 

そういうのを含めて、大人になったんだと思う。

 

似た相手でなくても、

 

大人の距離感でちょうどよいあたりを探して、

 

お付き合いできるようになるよね。

 

学生時代や新卒時代より、

 

多少は孤独かもしれないけど、

 

その分家族も増えているし、

 

だいたい家族以外に振り回されるような余裕もないから、

 

これでちょうどいいんだろうな。

 

 

 

乳幼児の子育てに一段落したら、

 

時短ではあるけど仕事にも復帰したし、

 

自分自身のやりたいことにも向かう余裕が出てくる。

 

そこで出会う人との時間で、

 

たとえ似た相手じゃなくても

 

青春に近いキラキラした時間を過ごすことができると

 

体感することができると知ったよ。

 

それがいわゆる大人の青春ってやつなのかも?

 

相手に踏み込みすぎなくてもいいし、

 

踏み込まれないような距離感を保ちつつも、

 

好きなものややりたいことでつながってけたら、

 

すごく楽しそうだ。

 

 

 

自分がいきいきキラキラ輝いて感じられることが

 

もし青春の定義だとしたら、

 

自分を活かしてあげさえすれば、ずっと青春なのかもね。

 

 

 

私は、常に今の自分が一番進化していると思っているから、

 

いくら思い出を愛おしく振り返ったところで、

 

「あの頃は良かった」「あの頃の自分が一番好き」とは

 

一切思わない。

 

今の自分の方が、確実に学生時代よりも

 

余計なことで悩まない自信もあるし

 

(当時はきっとそれが必要だったとしても)、

 

今の自分の方が、より自分を知っている。

 

だから、自分の活かし方も試行錯誤実践済み。

 

大人なら大人の経験値を活かして、

 

自分をいきいきキラキラと

 

喜ばせてあげたいと思う。

 

 

 

今年も残すところあと二週間。

 

大切に過ごしていきたいし、

 

来年の自分も、しっかり笑顔にしてあげたい。

 

大人になって、自分との付き合いが長くなった分、

 

自分のことがどんどんわかって、

 

そんな自分のことがどんどん愛おしくなる。

 

生まれてから死ぬまで、ずっと一緒にいるのは

 

自分自身なんだから、

 

大切に活かしてあげたいよね。