学校では嫌なことも頑張る訓練をしていたんだなと思った話 | 自分大好きな人の頭の中

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私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

子どもが小学生だけど、

 

嫌なこともよく我慢してやっているなと思う。

 

宿題やりたい気分じゃないときだってあるだろうに。

 

それに、得意な科目を伸ばすより、

 

苦手な科目を克服することに目が行きがち。

 

どんなに頑張っても100点が上限の中で

 

総合点を上げようとしたら、

 

結局は苦手をつぶすことになるもんね。

 

集団生活のルールも色々あるし、

 

気の合う人ばかりでもないだろうに。

 

安全のためだとわかっているけど、

 

それでもみんなで登校したくない日だってあるだろうに。

 

 

 

だからせめて、家の中では

 

あまり我慢せずに過ごしてほしいなと願う。

 

食事もお風呂も洗濯も、

 

片付けまで自分でやるならいつやるかは自由だよ。

 

自分の分だけならそんなに大変じゃないからね。

 

〇〇しなさい!ってあまり言わない母かもしれない。

 

寝る時間も、自分で起きれるならいつでもいいよ。

 

 

 

もともと、学校は兵士や労働者として

 

取り換え可能な

 

扱いやすい人材を

 

育てることが

 

目的の根底にあった。

 

運動会だって軍事訓練からきているし。

 

それを知っても、

 

まぁ確かにそうだよねと驚きはなかったかな。

 

 

 

もちろん、現場レベルでは、

 

先生たちは本当によく頑張ってくれていることは

 

私たち保護者には痛いくらい伝わってる。

 

それこそやりがい搾取の権化みたいな部分もある中で、

 

精一杯こどもに向き合ってくださっている方々が

 

たくさんいることもわかるし、頭が下がる。

 

 

 

ただ、子どもは大人ほど

 

自分で環境を選べないのは確か。

 

だからきっと、

 

我が子を一番近くで見ている親が、

 

子どもに一番合いそうな環境の学校を探して、

 

選べるなら選ぼうとするんだよね。

 

うちは普通の公立だけど、

 

受験する人の気持ちも少しわかる。

 

 

 

私自身も、思い出してみると

 

人生で一番自分で選べなかった環境は、

 

小中学校だったから。

 

部活とか、自由課題の宿題とか、

 

習い事とか放課後の時間の使い方とか、

 

そういう日常レベルのことくらいしか選べなかった。

 

高校受験は、

 

やっと自分で環境を選んでいけるという感覚が

 

すごく嬉しくて、

 

勉強が苦じゃないタイプだったこともあって、

 

私にとっては意外と楽しい思い出だったりする。

 

ただ、体育にまつわる思い出だけは

 

あまりいいものじゃない。

 

 

 

そんな感じで、勉強一つ運動一つとっても、

 

どうしても我慢している部分はあるものだよね。

 

社会に出てから求められる力は、

 

以前と少しずつ変わってきているのは確か。

 

取り換え可能な人材じゃ、

 

AIに仕事を奪われちゃいそうだしね。

 

それに、集団生活にマナーは必要だけど、

 

社会に出てから自分を殺しすぎると

 

ただ搾取されるだけだもんね。

 

 

 

子どもが頑張りすぎていないか、

 

無理して適応しようとしていないか

 

気にかけていきたいと常々思う。

 

子どもには、

 

自分で選べることは精一杯

 

自分で選んでほしいと思う。

 

選べることの幅も、

 

少しずつでも広げていけたらいいよね。

 

 

 

もちろん、外の世界で頑張っているんだから、

 

夫にもそう願うように、子供も

 

家の中では、思いっきり油断していいし、

 

いっぱいぼーっとして、

 

いっぱいだらだらもして、

 

いっぱい好きなことやってくれたらいいな。

 

私も家の外で頑張っているから、

 

家の中では頑張らない。

 

 

 

好きな時間の使い方をして、

 

得意なことや好きなことに取り組む自分を

 

好きになって欲しい。

 

 

 

それって、普段私がやってることと同じだね。

 

好きな仕事をして、わくわく学んで、

 

自分を活かすようにしている私の姿を

 

我が子はきっと見て育つ。

 

自分を大事にするお手本になれたらいいな。